発行日:2003年2月25日
・国内調査レポート/「あかりと精神」~京都・鞍馬火祭~
・海外調査レポート/「イエメンあかり事情」~イエメン~
・照明探偵団倶楽部活動1/街歩き報告(都営荒川線・三ノ輪)
・照明探偵団倶楽部活動2/研究会サロン(10/19)報告
・照明探偵団倶楽部活動3/街歩き報告(汐留開発地区)
・照明探偵団倶楽部活動4/研究会サロン(1/28)報告
・照明探偵団倶楽部活動5/Transnational Tanteidan Forum 2002 in TOKYO報告
・面出の探偵ノート
・探偵団日記
鞍馬の火祭・あかりと精神
京都・鞍馬 2002/10/21-22
田沼 彩子 + 早川 亜紀
サナア・旧市街から見た日の出
祭前夜の鞍馬寺山門
子供や大人用の松明大きいものは重さ100kg を超す
祭りの始まりを知らせる神事振(じんじぶれ)
最初は子供たちが小さな松明とともに街道を練り歩く
子供たちも火の周りを楽しげに踊っていた
長さが3mを越す大きな松明を立ち上げる大人たち
毎年10 月22 日に行われる京都・鞍馬寺の鎮守社である由岐神社の火祭。火が灯された大きな松明が狭い旧街道を連なって進むダイナミックお祭りで、京都三奇祭の一つに数えられる。日常生活の中では触れる機会がほとんど無くなった、燃えたぎる火の魅力と、人々と火祭との関係を調査した。
叡山電鉄・出町柳駅から単線を走る電車に揺られること30 分。北山杉の鬱蒼とした木立を抜けると、夕暮れの鞍馬の里に到着した。ひんやりとした空気が全身を包む。一度の深呼吸で東京のくぐもった空気が全て吐き出されたような気分になる。私たち照明探偵団は、今回京都三大奇祭の一つ、洛北・鞍馬の火祭の調査に訪れた。
●静かな祭前
火祭前日の鞍馬の里は意外な程の静寂に包まれていて、私たちは少々拍子抜けしてしまった。祭り前日のどこか浮き足立った雰囲気があるのでは無いか、と予想していたからだ。旧街道沿いには昔ながらの格子を正面に配した家々が軒を列ねる。景観を壊さないように、と家をつくる場合には必ず格子を付けなければならない、とか。どの家も軒の高さがほぼ同じで、アイレベルに合った高さに統一されていて、圧迫感を与えない美しい町並みが広がっていた。周囲を山々に囲まれた里に夕闇が迫る。街灯は白々とした蛍光灯20W の心細いものが35 ~ 40m ピッチでポツリ、ポツリとついているだけ。街灯間の路面照度わずかに0.2 ルクス。山里の寂し気な雰囲気が漂う。
「ごめんくださーい」、格子戸をカラカラと開けて、火祭の準備をしていた一軒にお邪魔した。長さ3 ~ 4 メートルはあろうかという大きな松明が土間に大切に安置されていた。重いもので100kg を超すと言うから驚きだ。毎年6月頃から材料となるツツジの芝などの雑木を集め、火祭りに向けて徐々に準備を行うという。最後の点検に余念が無いお父さん。松明全体を縛る藤の根に緩みが無いか、確認している。伝統を守る心意気が伝わってくる。年に一度の晴れ舞台を明日に控えて、住民の人たちもどこか誇らし気に見える。
とっぷりと日が暮れた、と言ってもまだ7時。それなのに辺りには漆黒の闇がひたひたと迫る。鞍馬寺山門横の堤灯が山門両脇の仁王像をボンヤリと照らし上げ、幽玄の世界を創り出している。ただ” 浄域” と記された札が立てられ、そこから先へ人を寄せつけさせないオーラを放っていた。このシンと静まり返った山門が、本当に明日火祭りの舞台となり、明々と燃える炎に包まれるのだろうか?半信半疑のまま、誰も乗客のいない叡山電車・下り線に乗り込み鞍馬の里を後にした。
●火祭とその精神
10 月22 日、火祭当日。前日の静寂が嘘のような人波が小さな鞍馬駅の改札から続いている。満員の叡山電車が京都市内から次から次へと人を運んでくる。家々の前に配置された松明や” 御神燈” と書かれた堤灯が祭り気分を盛り上げていた。大きなかがり火が配置された” 御旅所” 近くに陣取った私たちは今か今かと旧街道の先に視線を遣る。
「神事に参らっしゃーれ」の神事振(じんじぶれ) のかけ声とともに家々のかがりに火が入る。祭りの始まりを知らせるかけ声だ。ポツポツと点り始める家々の小さな火。やがて御旅所の大きなかがり火にも火が入る。背景の山々の闇を借りて、道幅の狭い旧街道がほんのりと赤く染まっていく。やがて、かがり火から立ち上る白い煙と燃える木々の香りが辺りに立ちこめて、神秘的な世界が広がる。
「サイレイヤ、サイリョウ」。松明をかついだ人々のかけ声が遠くから聞こえてくる。だんだんと近付いてくる声。様々な大きさの松明が練り歩く。最初は子供用の小さな松明、そして大人の持つとても大きな松明が徐々に数を増やして集まってくる。御旅所の大きなかがり火も勢いを強め、近付けない程のものすごい迫力で燃え上がる。木が弾ける音とともに空を舞う火の粉が闇夜を真っ赤に染め上げる。一瞬自分が太古の昔にタイムスリップしてしまったかのような錯覚に陥る。こんなに大きな本物の火を間近で見たのはいつのことだったか。大昔から人々は火を畏れ、敬い、それを手に入れたいと想い願って来た。人間は火を電気に変え、自由自在に使い回し、一見手中におさめたかのように見える。それでも燃えたぎる火にはどこか本に訴えかける、どうにも逆らえない力があるように感じるのはどうしてだろう。
火祭が終わる。跡形も無くなった松明。全てが燃え尽きた後、鞍馬の人々はまた来年の火祭りに向けて準備を始める。人間が燃えたぎる火にしか宿ることのない独特の力を感じ、本能が火を求め続ける限り、火祭の火が尽き果てることは無いだろう。
イエメンあかり事情
Sanna, Yemen 2002/12/04-08
竹内 聡美 + 橋本 八栄子
塔状住宅のつくり
塔状住宅
密集する塔状住宅群
マフラジ内部から見たカマリア窓
蛍光灯の下であかり問答
1986 年にユネスコの世界遺産に登録されているサナアの旧市街は、古いもので400 年以上前に建てられたという高層住居群(塔状住宅と称される) によって構成されている。無論電力などあるはずもない時代に建てられたこれらの住宅は、自然の創り出す環境を上手に採り入れることで快適性を手に入れていた。「方角が大事なんだよ。方角がね。」イエメン人建築家アミン・アブドサイード氏は熱く語る。高層の住宅が密集するここサナアの旧市街では、住宅の間取りや開口部がどの方角を向いているかがその建物の居住環境を大きく左右するというのだ。
イエメンの首都サナアの旧市街には東西約1.5km 、南北約1km の城壁の中に約6400棟もの古い住宅、43 の大小を含むモスクが存在している。容易に歩いて廻ることができる規模の街にしてはその建物の数は過剰だ。旧市街を構成している住宅の殆どは石や日乾煉瓦による高層の建造物である。5 、6 層のものが大半だが、高いものでは8 層、高さ25m にも及びこれがサナアが「世界最古の摩天楼都市」と称されている所以である。度重なる部族間抗争から防御する目的で周囲に巡らされた城壁内で人口が増加し、世帯が増えるのに従って当然住宅も密集した。次第に住宅は上へ上へと高層化し、現在のような塔状住宅の姿ができあがった。高層化は身の安全を確保するにも有効であり、街路に面している頑丈な玄関扉は当時の様子を物語っている。
●塔状住宅のつくり
住宅密集地での低層部は当然のごとく陽当たりが悪い。また安全確保上、更には構造上の問題も加味して低層部は開口部が少ないために昼でもかなり薄暗い。かねてからこれらの部分は家畜小屋や倉庫に利用されており、居住部分は2-3 層より上部となっている。
階段は外壁に面する箇所に設けられ、アラバスターと呼ばれる大理石の一種を薄く加工し、採光用の窓として使用した。かなり急な階段をぐるぐる廻りながら登っていくと、次第に階段室も明るくなってくる。私たちのような訪問者は家族の居住階を越えて更にすすみ、最上階へと通される。ここはマフラジと呼ばれ、親しい友人が集って昼下がりを共に過ごしたり、また結婚式などの祭事にも使用されるいわば応接間である。イエメンではカートという多少の覚醒作用を持つ葉を嗜好品として噛む習慣があるが、このカートを持ち寄って一同に会する「カートパーティー」なるものが催されるのもここマフラジである。標高2300mのサナアではマフラジに辿り着くだけでも息が切れるほどだが、一旦腰をおろして落ち着くと最上階のこの部分は陽当たりや通風も申し分なく居心地はすこぶる快適である。北側を除く壁面に採光のための開口部を大きく設け、部屋の両隅上部には通風を目的とした小窓が設けられている。日中は、窓の木格子を開閉して厳しい日差しを和らげる。高地特有の一日を通じての気温差を、開口の大きさの調節によって補う工夫である。
塔状住宅の最上階には決まってこのマフラジがあり、通常土足厳禁である。部屋の壁面に沿ってぐるっとマットレスのようなものが敷き詰められており、家の主を含め来客一同は部屋を囲むようにここに腰掛ける。靴を脱いで床でくつろぐというスタイルは、私たち日本人にとっても親しみやすいものだ。
●マフラジからの風景
サナア旧市街のマフラジから眺める夕陽と薄暮の街並みはまさに絶景である。あたりが暗くなるにつれ次第に風も冷たくなり、ちょうどそのころモスクからアザーン(肉声による礼拝への呼びかけ) が流れはじめ、人々がモスクに向かって動き始める。私たち異邦人はここマフラジからイエメンの人々の生活を全身で体感することができるのである。遠い山並みに陽が沈み、あたりがすっかり暗くなると夜景の主役に取って代わるのがカマリアの窓あかりである。カマリアとは色とりどりのガラスがはめ込まれた半円形の装飾窓で、塔状住宅を特徴づける重要な要素となっている。ぽつぽつと点き始める窓あかりを観察していると、その約7 割が蛍光灯の白い光、残りの3 割が電球による暖かい光といった具合に意外にも住宅から漏れてくる光が白いことに気が付く。聞くところによるとイエメンに蛍光灯が普及し始めたのは1960 年代(革命後)とのこと。そのあたりからオフィスのみならず住宅にまで白色蛍光灯が浸透し始めている様子は戦後の日本を思わせた。
●マフラジでのあかり問答
ある昼下がりに旧市街でのカートパーティーに招待された。このときに冒頭のイエメン人建築家アミン氏との対面がかなうことになる。カートパーティーは様々な職種の人々の見解が伺える絶好の機会であったので、気になっていたことを色々と質問してみることにした。「なぜ、自宅の照明に白色蛍光灯を使用しているのか?」という質問には「ランニングコストが安いから」「明るいので目に優しいから」など、合理性を重要視した理由が複数の人より挙げられた。加えて最新の建築事情に精通しているアミン氏の話は続く。曰く「直管蛍光灯の白い光はクールでシャープな印象を与えるので近代建築には欠かせない」らしい。最近新築された彼の自邸でもやはり蛍光灯が多用されている。「でも、ベッドルームは暖かい色の光の方が落ち着いてよい」ということに関してはその場にいた全員の意見が一致。また、旧市街に関しては白い窓あかりよりも暖かい電球色の窓あかりの方が似合うというのが大半の意見であった。イエメンの人々は自分たちの生活スタイルにかなりのこだわりを持っており、無論光の考え方に関しても例外ではない。私たちの質問一つ一つについてもそれぞれが異なる見解を熱く語ってくれる。興味深かったのは、それでもみな共通して、毎日の日の出や日没など、自然の明るさの遷り変わりを愉しみ味わっているということ。長いあいだ自然の光と共に生活を営んできた彼らにとって、未だ、照明は「明るくするもの」という認識でしかないのかもしれない。この日も随分と陽が沈んで辺りがすっかり暗くなろうとしていても誰も照明を点灯しようとしなかった。どのくらい暗くなったら点灯するのかと窺っていると、なんとマフラジの中央で1.8ルクスとなった頃にようやく照明器具が登場。「いったん暗くなってしまったらね。」もう関係ないんだとでもいうように、家の主は白色の蛍光灯を点灯した。
第16 回街歩き 三ノ輪商店街
2002 年10 月9 日
みなさんは東京に「ちんちん電車」が未だに現役で走っていることをご存知ですか?今回の街歩きは昭和の情緒あふれる都電荒川線に乗って三ノ輪商店街の「生活のあかり」を探索してきました。
■街歩きレポート・その1
1. 都電荒川線乗り込む団員たち
2. ジョイフル三ノ輪アーケード街の様子
3. 各商店の印象的なファサード
唯一の都電として愛されている「都電荒川線」。始発の早稲田駅に集合した我々は早速“ちんちん電車”に乗り込みました。どこまで乗っても160 円というリーズナブルさ。しかもあまり知られていないのですがなんと貸切まで可能というまさに地域密着型の電車です。終点の三ノ輪橋まで池袋、大塚、王子といった市街地も通り、ゆっくりと走る電車の窓から眺める東京の夜景も良いものです。 約50 分の都電の旅を満喫し三ノ輪橋のひとつ手前の荒川一中前を下車し、いよいよ今回の目的である商店街“ジョイフル三ノ輪”を目指します。とここまでは良いのですがどこかいつもと様子が違います。この日は面出団長がどうしても所用があり出席できないとということで今回の街歩きは団長不在です。
多少の不安は残りますが、いざ出発です。一歩商店街に足を踏み入れるとまさに昭和にタイムスリップしたような感覚に陥ります。アーケード街のメインストリートは3 灯が1ユニットの水銀灯とナトリウムランプで構成された器具で照らされていて、中央の水平面照度は平均で約300lx 程です。また、この器具結構きちんと作られていて歩いていてもまぶしくないように考慮されていました。商店街を形成する肝心商店はというと各店舗とも実に個性的というか、エネルギッシュというか・・・。飲食店、八百屋さん、お肉屋さん、魚屋さん、薬局、和菓子屋さん等々、各商店のファサードは全く統一感のない照明が混在していました。特に団員の皆さんが興味を持ったのは、まるで電気屋さんのような魚屋さん、そしてハロゲンランプをこれでもかと使ったお惣菜屋さんです。魚屋さんには魚を新鮮に見せるため?に様々な種類の照明がダクトから吊るされていました。一方お惣菜屋さんの方はというとこれでもかというくらいのハロゲンランプが店頭に吊り下げられて、惣菜の陳列棚の照度は3000l x を超えていました。およそ照明手法など関係ないといった様子なのですがアーケードの中にいると違和感や不快感は思ったほどなく、むしろ懐かしい感じがしてくるから不思議です。団員の皆さんも興味津々で色々な場所でシャッターを押していました。
商店街から一歩裏の路地に入ればいわゆる赤提灯がいくつもあり、路地を照らすのは古ぼけたかさに裸電球という最もシンプルな照明、このほのぼのとしたあかりはなんともいえず味のある光でした。そこに野良猫が歩いていたりして雰囲気をさらに盛り上げます。アーケードのあかり同様こういう夜景は我々日本人の原風景なのかもしれませんね。でもそれは明かりだけの力でそう感じるのではなく、そこで生活している人々の息遣いとの相乗効果が我々にそう感じさせるのだと思いました。今回は照明探偵団版「ぶらり途中下車の旅」のような街歩きとなりましたが、皆さんも都電荒川線に乗ってどこか懐かしい三ノ輪の町を訪れてみてはどうですか?(岡本 賢)
■街歩きレポート・その2
アーケード脇の赤提灯の明かり
この日、私は皆の集合場所に行くことができなく、現地集合をしたので、一人地下鉄日比谷線の南千住駅から南千住商店街、仲通り商店街と歩き、やっと目的のアーケード、ジョイフル三ノ輪に辿りついた。そこは辺りがすっかり日が暮れて暗いのとは対照的に、煌々と明るく、突如あらわれた異空間の様であったが、明るい光を見てほっとした感覚を覚えた。
このアーケードが設置される以前は、もともと三ノ輪銀座商店街と呼ばれ、よく観察してみるとアーケードの両端に並ぶ2、3階建ての商店兼家はかなりの年期を感じるものが多い。古くからの商店街をリニューアルしたようである。
アーケードの屋根は日中自然光が差し込んでくるように半透明のトタン素材が使用されていた。ここを明るく照らしているのは、ナトリウムランプ1灯と水銀灯2灯がワンセットになった混光照明が天井部分、両端に4~5mおきに直付けされ各商店の演色性を保っている。さらに床材がベージュの石材で、そこそこの照り返しがあった。他には都電のマークの付いたブラケット各柱に設置されている。
各商店の照明計画は、ほとんどの照明機具が後付けのようで好き勝手やっている印象をうける。その中で一番目立っていたのは魚屋で、ハロゲンランプをワンサカ設置していた。
一歩路地裏に入るとそこは薄暗く、裸電球に薄いかさがかぶったものがポツリポツリと灯っていて、なんだかタイムスリップしてどこかに迷い込んだ様なノスタルジーを感じた。残念だったのは、ほとんどの商店が18:00 ~ 19:00 には閉ってしまい、切ない気分でアーケードを後にした。(岡部 美楠子)
第19 回 研究会サロン
街歩き、ロンドン調査報告、五箇山合掌造り民家調査報告など
2002 年10 月16 日
■街歩き報告
1. 吹谷団員によるアクリルチェアのプレゼンテーション
2. 今回の” ヒカリモノ” アクリルチェア
3. 田中智香団員による調査報告
まず始めに10 月9 日に実施された三ノ輪商店街の街歩き報告が田中謙太郎団員から行われました。いわゆる“ちんちん電車”(都電荒川線)に乗って目的地を目指すため10名限定という少人数で行われた今回の街歩きでしたが、久々に良い天気に恵まれ絶好の街歩き日和となりました。
ジョイフル三ノ輪こと三ノ輪商店街の各店舗のファサード照明は実に個性的で、その写真が紹介されると皆さん興味津々で観ていました。各商店ともに全く統一感のない照明なんですが不思議と不快な感じはなく、昭和へタイムスリップしたようなどこか懐かしい感じを参加した団員は感じたようでした。皆さんも都電に乗ってレトロなアーケード街“ジョイフル三ノ輪”を訪れてみてはどうですか。
■五箇山合掌造り民家調査報告
面出団長の教え子である武蔵野美術大学・空間演出学科の皆さんから五箇山合掌造り民家での調査報告がビデオの映像を交えて行われました。4 泊5 日に及ぶ調査の内容は民家内や、ろうそくの灯りの照度を測定したり、建物の実測調査を行ったりと本格的。映像の中には面出団長が料理をしたり、三味線を片手に美声を披露する姿など貴重なシーンも含まれていたりと、会場は大いに盛り上がりました。また学生の皆さんの手によって編集されたビデオは非常に完成度が高く好評でした。
■ヒカリモノ
今回は吹谷団員からアクリルを使った椅子の模型が紹介されました。椅子そのものが光るわけではありませんが透明なアクリルの素材を透過する光がこの作品の見所。一枚のアクリル版を曲げ加工して作られた作品には団長から「なかなか丁寧に作られている」とお褒めの言葉を頂きました。団員の皆さんからも作品に対して色々と意見が出ましたが、将来的に商品化されたりすることもあるかもしれませんね。次回のサロンでも皆さんからの積極的な発表を期待しています。(岡本 賢)
■ロンドン調査報告
つづいて田中智香団員からはロンドンの調査報告です。最初に現在開発の進んでいるテムズ川沿いに近年開通したJubilee Line の駅や周辺の写真が紹介されました。JubileeL i n e の特徴は駅ごとに違った建築家がデザインをしているというところで、日本でいう大江戸線といったところでしょうか。アワードを獲ったWestminister 駅をはじめ各駅の照明手法の違いや印象が報告されました。このテムズ川沿い付近は現在も開発が進んでいて今後も竣工予定の建築がいくつもあるとか。田中団員も数年後また訪れてみたいとの事でした。
次に紹介されたのはS t . M a r t i n s L a n eHotel とMy Hotel の2 つのデザイナーズホテルです。特にSt. Martins Lane Hotel はNYでデザイナー・ホテルを次々とオープンしたホテル経営者イアン・シュレーガーとフィリップ・スタルクが手がけた事で話題を呼んでいるホテルです。田中団員が部屋をあちこち調査する写真が紹介されると、「照明デザイナーたるもの部屋に着いたら荷を解いてくつろぐ前に隅々まで観察して写真をとるべし」と団長から照明探偵団の調査の基本を教えて頂きました。
第17回街歩き カレッタ汐留
2003年01月15日
今後、続々オープンしてゆく” 汐サイト”の超高層ビル。他に先駆け2002 年11 月にオープンした電通本社ビルをメインに、汐留再開発地区の光を調査しました。
1. 都電通ビルから眺められる東京夜景
2. 電通前ブリッジの調査風景
3. 懇親会は韓国料理でカラダの芯から温まりました
■街歩きレポート・その1
今後、続々オープンしてゆく” 汐サイト” の超高層ビル。他に先駆け2002 年11 月にオープンした電通本社ビルをメインに、汐留再開発地区の光を調査しました。
今回の街歩きは、ベイエリアの調査なので多少の風や寒さは覚悟していたものの、予想をはるかに上回る冷たい北風(海風?)が私たちを待ち受けていました。新橋駅に集合し目的地へ向かう途中、何よりも目立っていたのがブリッジ上の照明。汐サイトを見渡そうにも煌々と光り、私たちの視線を妨げていました。電通本社ビル前のブリッジは違う照明手法がとられており、私たちはようやく上や下を覗き込み、調査写真を撮ったり照度を計ったり。するとちょうど、ビル屋上から降りそそぐ光のオペレーションを体験することができました。キセノンランプ4 kWのサーチライトによるそれは、ブリッジ上をゆっくりと移動し、歩いてゆく人々とともに活動的で楽しい雰囲気を創っていました。動く光を追いかけ照度をはかると、およそ700 ~1000 ルクス。オペレーションに気付かない歩行者もいるようでしたが、光浴(?)はおもろしろい体験なので夜の7 時、8 時、9 時、10 時頃を目指して訪れてみることをおすすめします。
その後あまりの寒さに、電通ビル・ca r e t t a内に逃げ込み、青い点滅光の高速エレベータで最上階へ。高所から眺める東京夜景も少しずつ変わっています。手軽に夜景を満喫できるので、平日でも訪れている人はたくさんいました。 ( 早川 亜紀)
■街歩きレポート・その2
再開発の進む汐留地区。今回はそんな新しい息吹につつまれた地の中で、特に電通ビル、カレッタ汐留を中心とした街歩きが行われた。
簡単に照明探偵団5ヶ条を確認した後、強い風と気温の低さに縮みあがりながらも、団員たちは果敢に調査を開始。心地良い光と悪い光。自分の好きな光と嫌いな光。それぞれに意見を交わしながら街歩きはすすむ。今回、一番皆を沸かせたのは、やはり電通ビル屋上からビル前ブリッジへのサーチライトによる演出であろう。これは毎日19 時~ 22 時頃に毎時約12 分間、人が歩く速さで、キセノンランプ4 kWの光が路面上を動いていくもの。タイミングよく、この太陽に近い光に照らしだされた人々は、生き生きとした表情を見せる。自分も実際に光の中に入ってみると、不思議なくらい、居心地のよさを感じた。やはり頭上からふりそそぐ自然光のような光は心地よい。一瞬、まわりが夜であることを忘れ、暖かささえ感じる瞬間であった。
電通ビルをひとまわりした後、地下鉄大江戸線汐留駅とカレッタ汐留をむすぶ地下道へ。ここでは色温度約3500 ケルビンの赤味のある照明が使われており、真っ白な光のひろがる地下道に慣れてしまった私たちに新鮮な驚きを与えてくれた。こういった、街の「玄関口」が一工夫されることで、街全体の持つ雰囲気は少しずつ形作られていくのであろう。
続いてはカレッタ汐留内へ。30 店舗以上の飲食店や、電通四季劇場を内含するこの複合商業施設では、テナントごとに多様な光の表現を見ることができた。しかし、やはりここでも気になるのは、日本ではお馴染みの必要以上に明るいコンビ二やドラッグストア。突如あらわれ、凶器のように雰囲気を壊す光に落胆しながらも、改めて全体を考えた照明計画の大切さを知る。最後は、高層ビルならではの美しい東京の都市夜景を楽しみながら、今回の汐留地区の街歩きは幕を閉じた。(新開 まゆ)
第20 回 研究会サロン
街歩き、イエメン調査報告、鞍馬の火祭り調査報告、TN 探偵団フォーラム2002 など
2003年01月28日
■サロンレポート・その2
1. イエメンの調査報告をする橋本団員
2. TN 探偵団フォーラムの報告をする田沼団員
3. 料理そっちのけで熱心に聞き入る団員の皆さん
今回の照明探偵団サロンは、五反田のデザインセンターで行なわれた第1回トランスナショナル探偵団、イエメン共和国、京都鞍馬の火祭、汐留開発地区「カレッタ汐留」の街歩き、この4つの報告で盛りだくさんであった。
その中でもこの2つ、イエメン共和国と汐留開発地区の報告が得に面白かったイエメンの1枚目の写真は、自分のいる時代さえもわからなくなりそうな、石と日干しレンガで造られた家々。かつてここが海のシルクロードの要衝として栄えていた輝かしい過去はすべて歴史の彼方に過ぎ去ったような茶色の景色だった。レンガの壁にむきだしに備えつけられた街灯。「やはり照明デザインについての意識のレベルはまだまだ低いようです...」とLPAの方が報告されている一方、横のテレビの画面に映っていたイエメンの夜明け前の静かな山の景色に私は夢中だった。青く発光した空は、アラビアンナイトの魔法の絨毯が本当に飛んでいそうな深い青色だった。
東京の都心は1日中、街頭や広告塔の照明が絶えることはなく、そんな光りに溢れた場所では絶対に見ることのできない夜明け前の空の色。夜起きても、パチッと電気を付ければ明るく怖い思いもしない家で育った私が言えることではないが、貧しさがイエメンの魅力を損なっているかといえば、その逆に感じた。
最後は汐留開発地区「カレッタ汐留」。地から上ヘ上へと何十層にも重なる、超高層ビルは、平面の地図には表せないような場所だ。そのビルに照明がつけば、その場の様子はさらに変化する。開発中の六本木ヒルズもそうだが、現在の東京は、平面から、空に向かう街作りが主となった。そんな完璧な建築の中の人工照明に驚くことはあっても感動することは少なく、その建築の内側に立っていると、自分の居場所が無い気がしてしまうことが多々ある。自然光の下で感じとった居心地の良さを感じることが少ないのは、人工光の下にいる時にも、自然光から感じとった記憶を探してしまっているからかもしれない。偶然訪れた建築の中に、居心地の良さを感じたとしたら、過去にどこかで感じた記憶を無意識に重ね合わせているにいがいない。(高橋 桃子)
■サロンレポート・その1
久しぶりに参加した今回のサロンはかなり盛りだくさんで、進行側も急ぎ足になり気味でした。それだけ探偵活動が充実していることだと思うと、ちょっとすごいなと思います。
発表された4つの報告の中で私自身が当日参加できたのはイエメンのみ、だから報告も新鮮で楽しく聞くことができました。ナショナル探偵団は世界各地の住宅の明かりについて報告されており、住む場所によって人間の感じ方が様々だということが、報告された映像からも伝わってきました。鞍馬の火祭りも是非来年は訪れたいと思った人も多いはず、実際に体感することが祭りの醍醐味なのではないかと思います。まったく違うタイプの4つの報告が照明という言葉をキーワードに同じ時の中で報告されているサロンはやっぱり面白いものだと改めて感じました。(竹内 聡美)
Transnational Tanteidan Forum 2002 in TOKYO 開催 !
五反田・東京デザインセンター 2002/12/06
“T A N T E I D AN”という単語を知っている人たちが日本以外にも増えてきています。これまで照明探偵団が行ってきた数々の活動に興味を示し、是非参加したいという探偵団員が海外にも現れてきました。今回行われたフォーラムはその海外版探偵団のキックオフミーティング。6 都市からパネラーが参加して“Regional な光環境”をテーマにディスカッションを行いました。
■どうしてトランスナショナル?
1. パネルディスカッションでは7 名のパネラーたちがそれぞれの意見を交換した
2. NY から参加したJason はエンターテイメント性あふれるプレゼンテーションを行った
3. 会場の東京デザインセンター・ガレリアホールには100 名を超える参加者が集まった
「トランスナショナル照明探偵団(Transnational Tanteidan)」は、世界に広がるネットワークを活かして、世界中の異なる光文化を調査し、比較考察するための光文化研究会として発足しました。世界中の各地域に育まれてきた特徴的な光文化はグローバル化が進み、世界が狭くなるにつれて、個性が無くなりつつあります。そんな状況に危機を感じて、それぞれの地域特有の光環境を報告し、お互いの違いを認め合う場としてトランスナショナル照明探偵団はスタートしました。Transnational は“国境を越えた”という意味。国や地域に関係なく照明探偵していこう!というのが趣旨です。
■テーマは“Regional な光環境”
今回のフォーラムのテーマは、その国にしかない特徴的なあかり、その地域に生きた個性的な光文化、“R e g i o n a l な光環境”。ハンブルグ、ニューヨーク、コペンハーゲン、ストックホルム、シンガポール、東京の6 都市から7 名の参加者が参加して異なる視点からそれぞれの都市の光環境についてプレゼンテーションを行い、その後パネルディスカッションを行いました。現状の光環境を、都市、建築、住宅、イベントの4 つのカテゴリーに分け、各パネラーが選んだ代表的な風景から光のマトリックスを作成。実際の光環境の違いだけでなく、パネラーたちの考え方の違いも現れた興味深い表ができました。
■北欧の美しい夜景の原因は光と陰にあった!
7 名のパネラーの内、2 人はデンマークとスウェーデンという北欧からの参加。私たちが常にお手本としたいような北欧の美しい光の扱い方を紹介してくれました。デンマークのKatja は都市の中での抑制された光と陰の程よいバランスを紹介。湖などの豊富な自然を活かした演出などもさすが照明先進国という印象です。スウェーデンのAleksandra はあたたかな雰囲気を醸し出す住宅のあかりをキャンドルの写真を使って紹介。聞けば自宅のダイニングを撮影した写真だとのこと。キャンドル=生活の光、という意味を持つほど日常生活に溶け込んだスウェーデンならではの光景でした。
■自動販売機は善か悪か?!
パネルディスカッションでは “How do youlike Tokyo night scape?” をテーマに掲げ、パネラーたちの目に映る東京夜景についての意見が交わされました。昼間とは全く異なる非日常の景色が街に現れる、それが東京夜景の魅力の一つであるようです。これまで度々照明探偵団でも取り上げてきた東京の夜の光害?の一つである自動販売機は、パネラーたちにとってもネオンサインや高層ビルの真っ白な蛍光灯とともに東京夜景を印象付ける要素の一つであった様子。善か悪かの結論は先送りとなりましたが、これからも東京夜景を語る上で欠かせないトピックスのようです。
■ウェブサイトtanteidan.org もスタート
トランスナショナル照明探偵団のウェブサイト http://www.tanteidan.org を立ち上げました。
これまでの探偵団の活動や各支部からの活動報告など、まだまだ建設途中ですが、今後は世界の仲間との意見交換を中心に、このサイトを発信地にアフリカ、中近東、中国などなど世界中に照明探偵団の仲間を増やしていく予定です。2003 年8 月にはストックホルムで第2 回目のフォーラムも行われることが決定しました。トランスナショナル照明探偵団の今後の活動に乞うご期待下さい!(田沼 彩子)
面出の探偵ノート
●第31 号 2003 年02 月12 日( 水)
ジェームス・タレルとの楽しいお話
1. 熱の入った対談の様子
2. 団長とタレル氏の貴重な2ショット
今、話題の芸術家、ジェームス・タレルと2 時間ばかり楽しい話をしました。タレルさんについては先刻ご存知の方も多い事でしょう。光を扱った彼の数々のアートワークは、私たち照明デザイナーにとってもとても刺激的なものなので、思いがけずの対談を持ちかけられた時に、久しぶりに楽しくなりそうだ・・・と予感してました。
タレルさんはつい最近、大阪の梅田近辺に安藤忠雄さん設計の建築アート照明を完成させたのですが、対談の要請があった当初は、その来日の合間を縫って私の事務所LPA で対談する事になっていました。L P A のスタッフなどはあの偉大な芸術家がLPA にやってくる・・・というのでずいぶん興奮していた様子でしたが、直前になって東京での対談が危うくなりました。私は私でS e o u l への出張とSingapore への出張の狭間に1 日だけ空いているだけなので、今回は会えないかなと思っていたのですが、最終的にドバイから関西空港にやってくるタレルの日程に合わせて、私もSeoul から直接関西空港に入る便に乗り換える事で、お互いに数時間だけ大阪で過ごす事ができるようになったのです。タイトな移動日程でした。ソウルの現場を早朝に視察し、インチョン空港を午後1 時に発ち、関空経由で対談の場所、梅田の阪急インターナショナル・ホテルについたのが4 時でした。私がスイートルームの特別室に息をきって到着した時には、既にタレルさんは準備万端。例の黒い帽子にふさふさのあごひげ姿で私を迎えてくれました。
対談風景を撮影してくれているのはナカサ&パートナーズの中道さん。背景となる白い壁にLED の青い光を当て、前方から2 台の白熱ランプのスポットライトのみ。部屋の窓からは夕方の弱い自然光が、しかし暖かそうに差し込んでいました。いい表情に撮れるかな? 私はいつも決まってプロの写真家にカメラを向けられると、そんな風に想像しています。タレルさんは1943 年アメリカ生まれだから私より7 つ年上、還暦直前という事になる。しかしその手入れの行き届いた真っ白なあごひげのせいもあって、どう見ても60歳から70 歳ほどに見える。しかし男前にいい表情をしている。「う~ん、きれいなあごひげですね。手入れが大変でしょう。床屋でやってもらうのですか」。私の対談の第一声はおかしな質問だった。「いや、それほど大変じゃないよ。週に1 度ほど自分で手入れをするんだ。散発には行っても、ひげには触らせないよ」。気難しそうに見えたが、けっこう気さくな方だと直感した。
対談では何を話したのだろう、あっという間に時間が過ぎてしまった。「私の仕事には常にクライアントがいて、その人の技量や世界観によって出来栄えが違ってくるけど、あなたの仕事は自分がクライアントなだけに、心にいつも羽が生えているのでしょう(笑)」。
「照明デザイナーはタレルの仕事に大変インスパイアーされているのですよ。あなたには長生きしてもらわないと・・・」、私は幾つかの賛辞を送ったつもりでした。「私たちの仕事にはたくさんの理屈や言い訳がついて回りますが、あなたの仕事には仕事の成果だけが期待されている。製作途中で作品内容をこと細かく説明する必要もないのですね、羨ましいというか・・・」。「面出さんの仕事も私の仕事も光と人間をテーマにしている。興味は人間の光に対する感じ方なのです」。「自然光をデザインするというのが私の究極のテーマです。もちろんLED などの新光源にも多くの事を期待してますが・・・」「今、味覚の話をしてましたが、一度味わった美味い物は二度と忘れないのもですよ」「タレルさんの光の実験カプセルに入ったときは、緊張しました。あれは人体実験に近い・・・」。色々はトピックスがどんどん飛び出てきました。この対談内容は、カラーキネティック社は発行している雑誌CK VIEWS vol.3 に掲載予定ですので、楽しみにしてください。
私は東京で夜に探偵団街歩きに合流する約束をしていたので、6 時には対談を終了し、新幹線に飛び乗る事にしていました。対談の終了時には、それまで窓から入っていた自然光はとっぷりと暮れていて、ブルーモーメントの時間の中で写真家は断続的にシャッターを切っていました。そして数日後に届いたスナップの数々は、楽しい話を裏付けるのに十分な出来栄えだった。大男のタレルさんと小男の私が寄り添うように立っているスナップ。左右に分かれて色々な仕草をする二人。そして、私自身の表情のアップさえ、いつにない晴れやかな笑顔。つまり、楽しいお話をしている時、幸せな気分に浸っている時には表情も明るく多彩なのでしょう。久しぶりに楽しいお話ができました。(面出 薫)
面出団長 TBS ラジオ全国こども電話相談室に出演!
1月25 日、池袋サンシャイン60 の展望台で暮れゆく東京の夜景を背景に、TBS ラジオ・全国こども電話相談室の公開録音が
あり、面出団長がプロ・ナチュラリスト・佐々木洋氏、サンシャイン国際水族館・飼育員の冨山昌弘氏とともに“夜景の先生”
として出演。会場に集まったたくさんの子供たちからの「東京タワーにランプはいくつ付いているの?」、「ブラックライトに虫やイカが集まるのはなぜ?」など、元気なパワーに押され気味になりつつも質問に答えました。
会場の子供たちからは元気な質問が相次いだ
照明探偵団日記
最近、夜景を高いところから見る機会が何度かありました。冬は空気が乾燥して澄んでいるため、夜景がとてもクリアでキレイ。池袋のサンシャイン60 からは太陽が富士山に飲み込まれてから街が輝き出すまでの様子をつぶさに観察することができました。富士山まで視界を遮る高い建物が無いため、都会に居ながらにして雄大な富士山を臨めるということを発見。六本木のアークヒルズからはいつも遠くに小さく見えている東京タワーがスケール感を保ったまま、お台場を背景にすぐ間近に見えます。新鮮だったのが新潟・万代島に今年5 月にオープンする高層の展望台からの眺め。信濃川に架かる万代橋を初めとしたライトアップされたいくつかの橋と街、日本海の大きな闇が一度に見渡すことができます。大きな闇が夜景を引き立てるということを実感できた体験でした。夜景を観察するベストの時間帯は、ご存知の通り“ブルーモーメント” と呼ばれる日没後のほんのわずかの地上が青の波長に染まる間。時間にして10 分程度の短い時間です。この時間を逃しては美しい夜景を語ることはできませんのでご注意を。 (田沼 彩子)