世界都市照明調査

ミャンマー Myanmar

Update:

世界都市調査 in Myanmar

秘密の国ミャンマーの光大調査
2014.06.24-06.29   蕎原愛+ 市田真実

面積は日本の1.8 倍、人口6000 万人を抱える「大国」ミャンマーが、世界にあまり知られていないのは民主化以前の半世紀にもおよぶ鎖国政策の影響に他ならない。
いままさにミャンマー国内には「文明開化の音」が鳴り響いている。そんな過度期の国の光を調査した。

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サクラタワーからみたスーレーパヤー

Yangon / ヤンゴン

ミャンマーの首都は今までヤンゴンであったが2003 年夏にネピドーに新行政首都が建設され首都が移った。しかし、ミャンマーで一番賑わっている街はいまだヤンゴンである。
栄えているといっても一番高層のタワーで19階建てだ。近年は多くの海外企業が進出してきており、建設予定の看板がたくさん立ち並んでいて新しい成長を期待させる。

なぜパヤー(仏塔)だけ光輝いているのか

ミャンマーに訪れて一番疑問に思うのが、なぜパヤーだけがこんなにも輝いているのかという事である。
人々が暮らしている街並みはとても暗く慎ましいものだ。夜は最小限の照明しか使われておらず、電球が切れてもそのままで生活している。しかし、パヤーだけはふんだんに光を浴びているのだ。その理由にミャンマーの秘密が隠されている。

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切れたままで使っている照明

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わずかな照明で生活する人々

ミャンマーは長い間、軍事政権時代を送っており鎖国状態であった。その時は軍の締め付けがきつくすべて検閲されており、E メールですらチェックされていたと言われている。
他国の情報は厳しく制限されており、ミャンマーの人々は自由に情報を入手する事が出来ず、自分達の国の事しかわからなかった。
一見、幸せな仏教国と思われているミャンマーだが、実際は多民族国家であり、その中には有名な首長族と言われるカヤン族や首狩り族と言われるワ族などがおり、すべての民族が仏教を信仰している訳ではない。キリスト教を信仰している部族もおり、国内でも民族紛争が起こっている。
その中で、主要な街にこの様な黄金のパヤーを作り光輝かせているのは、政府が統治したというしるしに仏教の象徴であるパヤーを建ててこれでもかというほどに輝かせ権力を誇示しているのだ。そんな事を知ってか知らずかミャンマーの人々は慎ましく熱心にパヤーにお祈りをし、自分達は所々切れてしまっている蛍光灯の中で生活している。しかし、その表情は穏やかで楽しそうだ。他国の情報が入らない分純粋にも見える。2011 年に政権が変わり、鎖国がとかれ外国人観光客を受け入れる様になった今ヤンゴンの光が人々によってどの様に変化していくかが楽しみである。(蕎原 愛)

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対照的に光輝くシェダゴンパヤー

Nay Pyi Taw / ネピドー

2003 年夏から軍用地だった場所にミャンマーの新行政首都が建設された。そこに訪れると塀で囲われた東京ドーム70 個分もある国会議事堂や10 車線の巨大な道路、各官庁や公務員宿舎、ゲストを迎えるホテルや巨大なショッピングセンターが建ち並んでいる。国会議事堂の一番奥の建物は霞んで見えないほどだ。また、行政首都には一般人は立ち入り禁止で、商人は商業地区に隔離されている。

ネピドーのやりすぎ照明

ネピドーはまさに人工都市である。大げさに作られた国会議事堂は祭りがあると過剰な照明で演出される。そしてヤンゴンにあるミャンマーの代表的なパヤー(仏塔)であるシェダゴン・パヤーそっくりのウッパタサンティー・パヤーがこれでもかというほど光輝いている。ミャンマーは税金制度がほとんど機能していないため、政府はまったくお金を持っていない。予算がないのにどうやって造られたのかというと、軍と深く結びついた財閥グループの手によって建設されてきた。この様に、この国の国づくりのシステムの根幹は資本主義に基づく市場経済ではなく、上層階級の人達の間の蜜月関係のもと作られてきた。
なるほど、一般の人々の生活のあかりなど考えられていないはずだ。しかし、この様な人工的に操作された光ではなく、人々が市場で灯し、身を寄せあっている1 灯の電球の光の方がよっぽど魅力的に感じた。

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ウッパタサンティ・パヤー 内部
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市内4箇所のラウンドアバウトの中心にはRGBで照らされた花のモニュメントと噴水がある

死のハイウェイ

ヤンゴンからネピドーまでの高速道路とネピドー内の道路と、その差には驚かされた。高速道路は首都移転が決まり政府の命令でわずか5年間の突貫工事で完成された為、多くの設計上の問題を抱えている。ガードレールもなければ、標識もないので沿線の住民が自転車で走っていたり、時には横切る水牛の群れに出くわす事もあるそうだ。もちろん道路照明はほぼなく、帰り道は真っ暗でスコールも降り、道中相当に怖い思いをした。非常電話もないので怪我をしても救急車を呼ぶ事は出来ない。一方、ネピドー内の道路照明は20mおきにきっちりとたてられており、煌々と道路を照らしている。ネピドーには政府関係者と一部の富裕層しか暮らしていないので車通りはほとんどなく、とてつもなく無駄なものに感じた。一般の人々はこの死のハイウェイを通ってネピドーに辿り着いた時、この格差をみてどの様に感じるのであろうか。(蕎原 愛)

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ヤンゴンからネピドーまでの道路 車で約4時間かかる
ネピドー道路照明
ネピドー内の道路照明

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ウッパタサンティ・パヤー

Bagan / バガン

9世紀から13世紀までパガン王国の都であった古都バガン、特にオールドバガンと呼ばれる区域は考古学保護区に指定されている。
パガン王朝の最盛期には10,000を超えるパゴダ(仏塔)や僧院が建立されたといい、現在でも3000基あまりがこの地に残っているという。

未開の観光都市

午後6時をまわるとシュエサンドー• パヤーには大きな観光バスに乗ったツアー客や地元の人々が次々と集まる。この寺院は1057 年にアノーヤター王がモン族のタトォン国を征服しバガン王朝を建てた時に建立されたものだ。シュエ=黄金の、サンドー=聖髪という意味で、仏陀の聖髪が納められているという。5層のテラスを持つこの仏塔の上層部から、無数の寺院や仏塔のシルエットとともに眺める夕日は、他に類を見ない幻想的な景色である。
ヤンゴンやネピドーの黄金に光り輝くパヤーとは異なり、ここの建築はほとんどが白や赤茶色をしたレンガ造りで、ライトアップも2,3の大きな寺院を除いては施されていない。
遺跡群は日没とともに闇に沈み、街全体が別世界のような静けさに包まれる。
かつてのオールドバガンの住人たちは、この城壁に囲まれた区域が保護区とされた事により強制的に追い出され、現在はここから南に位置するニューバガンに住んでいるという。メインとなる通りには数十メートルおきに一灯の街灯が設置されているが、その殆どが不点灯。日中は馬車やレンタサイクルで寺院巡りを楽しむ観光客で賑わっていた通りも、日没を過ぎると車やバイクが時折通る程度で、歩行者は皆無だ。

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バガン一の大きさと美しさを誇るアーナンダ寺院 内部には裸の蛍光灯とおそらく装飾のためのRGB電球が

観光収入はどこへ?

2011年の民政移管後、年々観光客が急増しているミャンマー。2013年にはその数は200万人を超えたという。中でもバガンには仏教建築群を目当てに国内外から多数の観光客が訪れている。
ここで疑問に思うことは、これだけ観光客のシュエサンドー•パヤーから臨む夕日と遺跡群多い街で、なぜこんなにもインフラの整備が遅れているのかということだ。オールドバガンで唯一舗装の施された大通りAnawrahataRd.でさえも、60メートルおきに設置されたナトリウム灯の数灯に一灯は破損したままになっている。住居はもちろん店舗もないこの地域は少し小さな通りに入ると街灯さえもなく、懐中電灯を持っていないと5メートル先すら見えない。
人々の生活や観光地としてのさらなる発展よりも仏教建築物を修復し守ることを最優先とする人々の信仰心の表れなのか。はたまた、この地の観光収入が前述のヤンゴンやネピドーなどの都市開発に優先的に使われしまうのか。
日没とともに闇に沈む観光都市バガン。訪れる人々にとって、その魅力は古代にタイムスリップしたかのような手付かずの荒涼かつ神聖な土地と、自然光と最小限の明かりとともに成り立つ慎ましやかな生活にあるともいえる。
今後のバガンは、ミャンマーの観光産業を担う町としての包括的な取組みが課題となっていることは確かである。太古からの財産を守るという使命と同時に、地域全体の光環境を含む整備がどのように遂げられるか、とても興味深い。(市田 真実)

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Anawrahta Rd. スケッチ

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シュエサンドー・パヤーから望む夕日と遺跡群

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