出張街歩き in 京都
2019.09.26 本間睦朗+小松祐美+石田泰一郎+小谷弥
4年ぶりとなる関西での街歩きは古都京都。観光客で1年中賑わっている京都の夜の景観は京都らしいものになっているのかを調査してきました。
京都街歩きの趣旨と概要
京都に住み始めて1年、まだまだ新たな魅力に遭遇してます。噛めば噛むほど味が出てくるということになるのでしょうが、魅力のバリエーションは実に豊かです。
そして、待ちに待った探偵団の京都街歩き。
面出団長の最初のご挨拶にあったように「京都は私たちにとって大切な街」。そんな京都を、皆さんがどのようにお感じになるか興味津々ですし、新たな魅力を感じさせてくれそうな期待もあります。
私達は京都を代表する4つの観光名所を、4班にわかれて街歩きをしました。
では早速、京都の街歩きに出かけましょう!
1班 木屋町→先斗町→鴨川沿い
1班は、「木屋町、先斗町、鴨川沿い」が担当。鴨川沿いを南下し、先斗町を北上して、さらに木屋町通を南下するルートを定めて出発です。
◆鴨川沿い
鴨川の河原はイイ感じの闇です。存在自体が英雄の鴨川ですが、この闇により、さらに特別な英雄となっているのかもしれません。しかし、こんな鴨川でさえ犯罪者が!
川床の雰囲気の良い電球色の灯りが、遠く南座まで柔らかく続いていて、うっとりなのですが、そんな川床の灯りの連なりに、夢からたたき起こされるように出現する白色光の提灯。異次元のトンチンカンさで雰囲気を壊してくれます。「仏壇の雰囲気」「あの世みたい」・・・皆さん、この罪を改めてほしい思いを抱き、四条通りに抜けました。
◆先斗町
夜の先斗町は京都を代表する超混雑エリア。外国の方も多く、日本に居ながら完全アウエー気分が味わえます。
そんな先斗町の英雄は「調和」です。
店舗のあかりはギラギラ主張せず、さりげない。狭い路地を挟んで、対面の店舗どうしがジャマし合うことなく街あかりを形成しているとのご意見もありました。感動です。
なんでも、先斗町では店舗改修時にはご近所さんからご意見を頂く決まりになっているらしいのです。街並みを良くしようとする自主規制がしっかりと構築されているわけです。
◆木屋町通り
春先は、高瀬川沿いの桜がライトアップされて、艶っぽく通りを彩っていました。
しかし、桜がない今、高瀬川沿いの木屋町通は、まるで「空気の読めない人」みたいな街灯があぶり出されて存在感を示し、雰囲気を悪くしています。さらに、お店のカウンター席から臨める高瀬川を照らす、木屋町通までグレアまっしぐらなスポットライト、景観どころの騒ぎではありません。
木屋町通りは、四条通りの南側まで下がると、しっとりと雰囲気が変わります。街並みを彩る、朱色の支柱のぼんぼりも素敵です。
「規制に縛られる」という言葉だけを捉えると、ナンテツマラナイコトナンダと思えてしまうのですが、歩いてきたエリアは、きちんと規制しているからこその、この素敵な雰囲気なのでしょう。
突然変異的な前衛が新たな文化になることがあるのは、これまで人類はたくさん経験してきてもいるのですけど、頑なに保守的に維持に努めるべきかもしれなくて、このエリアは、それがうまくいってるなあ・・と感じました。 (本間睦朗)
2班:白川沿い・祇園北エリア
京都屈指の古美術街の古門前通り、白川沿いの住宅街、伝統的な街並みを保全する祇園新橋、雑居ビルが立並ぶ歓楽街を中心に歩きました。
◆古門前通り
歩き始めてすぐ目についたのは、白く鋭い光を放つ街灯。眩しく、歴史ある祇園の風情に合わないと早速、犯罪者候補になりました。
夜の古美術街は、暗く、静けさに満ちていましたが、ところどころ町家の格子越しに漏れる温かい色味の光や門灯が、歴史ある建物とその内に暮らす人々の矜持を伝えているかのようです。
ここでも、点在する白く単調な街灯の光が、通りの雰囲気を損なっているのは残念でした。
◆白川沿いの住宅街
日中は川のせせらぎと緑が心地よい散策路も、夜は無味乾燥とした街路灯のため、寂しい雰囲気がありました。低位置の温かい色の光がもっとあれば、心地よく安全な空間になりそうです。
◆祇園新橋
重伝建にも指定されている新橋通りは伝統的な町家の1階の格子戸を縁取る柔らかい光と2階の簾からの漏光に統一感があり、行灯や提灯の温かい色の光と相まってノスタルジックな異空間へ私たちを誘ってくれます。心地よい暗さと光の調和から、通り全体が英雄となりました。
一方で、近隣の店舗では、唐突な壁面へのスポットライトに一同当惑する場面もありました。
ただ、同建物のもう片方の壁面には、障子を通した柔らかい光の中に展示品の優美なシルエットが浮かびあがり、夜の古都らしい風情を感じました。同一の壁面に光の英雄と悪者が同居している状態です。
さらに白川沿いには店内から見える桜の木々をライトアップしている飲食店があり、他から見ると眩しく不快な光は利己的で、周囲への配慮を欠いているとして犯罪者に選ばれました。
◆歓楽街
最後に歩いた歓楽街では伝統的な町家の店構えの風俗店に施されたカラーライトや昭和の雰囲気漂うネオンサインが、しっとり落ち着いた古い町並みと隣合っている様は、京都や祇園ならではの夜の風景と言えるのかもしれません。
今回、歴史ある通りをいくつか歩きましたが、重伝建に指定されている新橋通りの光の統一感と近隣の通りの落差が大きいので、もっと広範囲に町並みに合った光環境がつくられていくと素敵だなと思います。(小松祐美)
3班 八坂神社→河原町
◆岡崎・祇園・知恩院界隈
3班は八坂神社から河原町が担当エリアです。まずは,岡崎から祇園へと流れる白川沿いを歩いてみました。川沿いには行灯のような照明器具が配置され,低色温度の光を発していました。浅い水流,両岸の柳などと相まって,いい感じの光景を作っています。ところが街路灯の白い光がグレアとなってその光景に割り込んでいます。白川沿いには「英雄」と「犯罪者」が隣り合わせになっていました。
東大路通を南下すると知恩院の参道があり,そこに広がる暗さに惹かれました。車道の両側には低い柱状の照明器具が並び,その上部から出る光が歩道との境目を示しています。しかし車道を明るく照らす光量はありません。車道は均一な暗さに沈んでいます。歩道には器具の下部から出る光が緩やかに映じて,擁壁を照らす光と共に静かなリズムを作り出しています。参道の照明は「英雄」で納得でした。
◆八坂神社・花見小路
八坂神社前で記念撮影をして,祇園の花見小路に向かいました。この通りには石畳の道路の両側に伝統建築が並んでいます。花見小路の光に目を向けると,支柱と一体化した照明,ぼんぼりのような照明,赤い提灯,そして店の看板などがありました。しかし,まぶしかったり,白い光が散見されたり,どこかちぐはぐな印象です。特にぼんぼり照明は大きすぎて違和感があり「犯罪者」だろうとなりました。この界隈には,ほぼ店先の灯りだけで落ち着いた雰囲気の狭い路地もあります。その照明は「英雄」です。さらに鴨川に向かって歩いていると,唐突にドラッグストアがあり,周囲から際立って明るい光を放っています。「犯罪者」に認定です。
花見小路の奥には祇園甲部歌舞練場があります。驚いたことに歌舞練場には何の照明もありませんでした。隣接する弥栄会館も同様です。投光器の強い光が敷地を照射しているだけです。疑問を感じつつ「犯罪者」としました。後日の報道によると,弥栄会館には改修後帝国ホテルが入り,休館中の歌舞練場も大規模な改修計画が進んでいるとのことでした。花見小路にはどのような光が作られていくのでしょうか。
◆鴨川沿い
街歩きの最後は四条大橋の周辺です。橋の上から鴨川の景観を楽しみ,河川敷に降りてみました。そこには散策路を歩いたり,川岸に座ったりする人がいます。川辺に照明はなく,河川敷は暗い空間です。ただ,この季節は川床が出ていて,拡散した光が周囲にも及んでいます。川床の灯を「英雄」としました。「犯罪者」的な振る舞いの光もありました。ある店の建物側に取り付けられたスポット光は川床を通り越して,散策路を直射していました。鴨川の川辺はそこを訪れる人が共有している空間です。その共有されたものに対する意識が問われているように感じました。 (石田泰一郎)
4班 寧々の道→ニ寧坂→清水寺→石塀小路
4班は、寧々の道からニ寧坂、清水寺まで足を伸ばし、石塀小路から、河原町へと歩きました。
◆寧々の道周辺
寧々の道の前に、商店街を通り抜けました。そこは、アーケード街になっていましたが、お店の提灯に風情があり、足を止めて見入ってしまいました。提灯でお店の看板とアーケードの灯りが形成されていました。しかし、見上げると、大きな白熱電球がついていました。これは、先付けか後付けかどちらなのだろうか?明るさはほんとにこれでいいのか?そもそもあるべきなのか?と言った談議が出来ました。
寧々の道では、何度も後ろを振り返りながら歩きました。「暗いよね。でも、街明かりとして成り立っていますね。」という話を何度もしました。それは京都としての雰囲気や価値の中で成立している灯りの取り方なのだと。片方にしか街灯がないのに注視しなければそのことには気づきません。そういった気づかなかったことに気付けた街歩きはとても楽しかったです。
◆ニ寧坂
ニ寧坂では、お店と道路の関係について話ました。お店の灯りがどれだけ街に馴染んでいるのか、違和感を与えていないのかという話です。あるお店では、白色でお店を照らしていました。お店としては確かに目立つが、景観を壊すという典型的な例なでした。
◆石塀小路
石塀小路では、壁面器具の付け方が素晴らしかったです。坂に対して、絶妙な角度で配列してありました。「美しいね」という話をしながら、通りをでて振り返ると、マンションの廊下の灯りが先ほどの感動をさっと奪っていきました。よくある器具の配置で景観を壊しているというかなんというか、、、という感覚でした。
街にはその街の文化や伝統、積み重ねてきた歴史がある。それを感じながら街灯りを形成していく必要性があると感じました。寧々の道での暗さを一般的な道路ですると、暗いと批判を受けそうです。その暗さで成り立つ京都は、日本にとって重要な歴史的財産であることを改めて実感できた街歩きでした。 (小谷弥)