発行日:2014年8月28日
・海外都市調査レポート/イタリヤ(2014/02/01-02/11)
・照明探偵団倶楽部活動1/第47回街歩き・JR中央線(2014/06/13)
・照明探偵団倶楽部活動2/第41回研究会サロン (2014/06/23)
世界都市調査 in Italy
2014.02.01-02.11 藤本佳音+ 坂野真弓
世界中の旅行者を惹きつけてやまないイタリア。主要3 都市(ローマ・ミラノ・フィレンツェ)+ 小都市2 都市(ベルガモ・シエナ)を巡り、それぞれの地で街の光、歴史的建造物への光、また新しい建築への光の違いを探る。
時代の語り部たちを照らし出す
ローマの街は異なる時代の建築が同居する、まるで歴史の筋道を映す鏡のようだった。1900 年もの間建っている「コロッセオ」や「パンテオン」、19 世紀半ばに完成した「ベネチア宮殿」、2010 年に竣工したばかりのザハの美術館「MAXXI」。その時代時代の建築様式が混在している。
イタリアはあまり照明デザインがしっかり行われている印象はなく、どの建物もフラットライトで照らしてあるだけだった。それでも故意か偶然か、そことなく建物の持っている息遣いを荒削りなりに照らし出しているように思えた。たとえば、真っ白な大理石を惜しみなく使った「ベネチア宮殿」は、19 世紀中ごろにイタリア統一の立役者の偉業を讃えて建てられた。その建物には白色のメタハラのフラッドライトが均一に当てられている。いかにも芸のない手法ではあるが、この建物の場合は、幾つかのレイヤーから構成される建築をシンプルにかつ効率よく照らし出している。また下からフラッドライトを使うことで建物が持つスケール感が出ているように思えた。なによりも白い大理石が映える白いメタハラの光がピュアなイメージを作り出す。
ただ、デザインの観点からすれば、両側の柱や建物上部の装飾部に極め細やかな光を配置して、建物の凹凸や細部の装飾をもっと照らしたいところだ。
コロッセオは、アールの開口部に黄色味の強い色を選び、周りの鉛直面を照らす白いフラッドライトとコントラストを作る。破損した建築の形と相まって、なにか少しおどろおどろしい。それも歴史の中でその建物が背負ってきた歴史となにか噛みあっている気がしてならない。照明には建築の外観はもちろん、建築がもつ時代背景や印象をも照らし出す力がある。イタリアで見た光は、照明デザインの観点から見れば、ディテールに凝らない荒削りの光ではあったが、光が持つ不思議な魅力を改めて気づかされた。建築はその時代を語り、そして夜に照明は語り部たちを舞台へといざなう。
(藤本佳音)
夜は少し怖い、コロッセオの照明
バチカン市国、サン・ピエトロ大聖堂
2010 年に竣工した国立21世紀美術館(MAXXI)
ミラノのドォーモから考える宗教と光
イタリア調査で強く感じたのは、宗教と権力と建築が強く結びついている点だ。ローマ帝国、バチカン、メディチ家…。それぞれの時代で、権力を象徴する歴史的建造物がいくつも建てられ、現存している。ミラノのドォーモもそんな建築物のひとつである。間口66m、奥行き157m、高さ108m のこの巨大な大聖堂は、約500 年もの年月を経て完成した。ファサードは総白大理石で、世界最大のゴシック建築と言われている。
夜の大聖堂はというと、ポールや、周囲の建物からの放電灯フラッドライトで照らされ、巨大な白いボリュームが浮かびあがっていた。ところどころエイミングが変わってしまったのか、ファサードへのフラッドライトがまだらになっていたのが残念だ。一方、屋上へあがると、無数の尖塔が細かく照らされていることに気付く。光源は尖塔のディテールに隠れるようについている3000K のLED スポットで、建築を細かく丁寧に照らしあげていた。
ドォーモ内部は、ファサードとは打って変わり、5000K の昼白色のフラッドライトが高さ40m から照らしていた。床面で約50lx。絵画や彫刻などは3000K の光で照らしていたが、なぜ5000K の昼白色を選んだのだろう?昼白色を使いながら、低照度の空間は、あまり居心地の良い空間ではないように感じた。
もしかしたら、白い光が降り注ぐ様子から、偉大な存在を表したかったのかもしれない。その他調査した各都市で訪れたたくさんの大聖堂や教会。そのほとんどは3000K 以下の光源を使っていた。供えられたろうそくの炎が揺れ、静かに祈りを捧げる人たちー。真冬のイタリアの調査だったが、教会に一歩足を踏み入れると、暖かな光が、一旅行者の私たちを迎え入れてくれた。教会は現代でもたくさんの人の心の拠り所として、静かにそしてしっかりとイタリアの土地に根付いていた。
(坂野真弓)
ドゥオーモ内部の白いベースライト
キオスクの3000K があたたかく見える
広場からドォーモとヴィットーリオ・エマヌエーレ2 世のガレリアを望む広場の床面照度は50 ~ 100lx と明るい
ドォーモ屋上から見る対岸の建物からのフラッドライト
屋上ではLED 光源の照明が細かく使われていた
サンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会
中世の町並みが残る小都市、ベルガモ
ベルガモ・アルタの町並み
ミラノから電車で1 時間、ロンバルディア州の中で最も美しい街と呼ばれるベルガモを訪れた。旧市街である「ベルガモ・アルタ」へは、ベルガモ駅からバスとフニコラーレと呼ばれるケーブルカーを乗り継いでいく。降りた先の景色はまさに頭に思い描いていた中世の町並みそのもの。でこぼこの石畳の道に、えんじ色の屋根、道の両側の建物の高さは統一され、1 階のレストランからの美味しそうな匂いが食欲をそそる。天気はいまいちだが、町を探索していると、歴史の1 ページに迷い込んだような気にさえなってくる。
丘の上の旧市街と新市街をつなぐフニコラーレ
町の中心、ヴェッキア広場。中世にタイムスリップしたかのよう
サンタ・マリア・マッジョーレ教会のミサ。やわらかな光の中で、信徒の歌が響く
教会の断面スケッチ
ベルガモの町で一番印象に残ったのは、サンタ・マリア・マッジョーレ教会だ。
デイライトと間接照明に浮かび上がる教会の内部は、思わず息をのむほど幻想的だった。私が教会を訪れたのはちょうど日曜日のミサの最中。信徒の厳かな歌声が静かに響き、いっそう神秘的な雰囲気を作り出していた。デイライトというと、建物の屋根に設置されるトップライト(天窓)のイメージが強かった。しかし、イタリアの教会の多くがドーム天井の下部にある大きな窓から光を取り込み、壁やドーム天井に反射させ、やわらかな間接光を作り出している。やわらかな光に照らされた祭壇は、ただただ美しく、訪れる者の心を洗う。
楽しみにしていたベルガモの夜の景色だが、あいにくの天候により市民の塔から見下ろす町は冷たい雨と濃霧の中ー。高所撮影をあきらめ、塔から降りたところ、霧靄に包まれる幻想的な教会に出会うことができた。
(坂野真弓)
ラジョーネ宮より教会、礼拝堂を望む
サンタ・マリア・マッジョーレ教会(左)コッレオーニ礼拝堂(右)
コッレオーニ礼拝堂は、複雑な彫刻が施されている
ミラノの街並みと光環境
ミラノ調査は意外にも今回が初めて。ローマに次ぐ大都市で、ミラノ・コレクションで知られるように、ファッションの街とてあまりにも有名だ。そんなミラノの街並みだが、石畳の道路や古い建物が多く残り、上品で落ち着いた印象を受ける。デコラティブなポール灯や、カテナリー照明によって、夜の街が照らし出されていた。一般的なカテナリー照明はナトリウム灯あるいは3000K のメタハラが使われており、夜になると街全体が暖かな色に姿を変える。路面照度は10~50lx と、充分な明るさが確保されていた。
街角には様々なランドマークが点在し、夜になってもライトアップされた建物を訪れる観光客が絶えない。そのほとんどにメタハラを始めとする従来光源が使われ、鉛直面を広範囲に照らしている。一見ランドマークとしてきれいに照らされているように見えるが、グレアへの配慮はなく、視点を変えるとかなり眩しい障害物となっていた。
歌劇場スカラ座の夜景。フラッドライトがふんわり外観を照らしていた
ミラノ中央駅
空港や欧州の大都市を結ぶ発着駅であるミラノ中央駅。白い荘厳な建築が旅行者や通勤者を出迎えている。朝の8 時を過ぎたロビー構内には、たくさんの人々が行き来していた。天高約25mの上から、フィルター越しに優しい朝日が降り注ぎ、床面照度は140lx。とても気持ちが良く、通り過ぎるだけではもったいない空間であった。
ミラノ中央駅ロビー断面(左)と朝のロビー風景
ミラノ中央駅ロビー断面(左)と朝のロビー風景ヴィットーリオ・エマヌエーレ2 世のガッレリア。壁面のブラケットが主な光源だが、床面は平均で100lux と明るい
ガッレリア正面。画面左のフラッドライトは、ドォーモを照らす
朝のミラノ中央駅
夜のスフォルツェスコ城。ダウンライトが石壁の陰影を作り出す
右手前のポール灯から照らされているガリバルディ門
反対側から見ると、ポール灯のグレアがまぶしい
第46 回街歩き:JR 中央線沿線
JR中野駅から三鷹駅まで
2014.0 6.13 坂口真一+ 田村聡+ 黄思濠+ 小薗早紀
マニアックなお店が集まる中野や、住みたい街第1位の吉祥寺、文化人が好む街阿佐ヶ谷など、JR 中央線沿線は東京の西大動脈のでありながら、各駅ごとに様々な特色をもつ。今回は中野から三鷹にかけての夜の街並みを探索し、その地域にあった照明や夜の表情になっているかを考察した。
東京「西の大動脈JR中央線。その中央線の中でも都心に近い中野駅から三鷹駅までを4班に分かれて調査しました。梅雨の時期で天気が心配されましたが雨も降らず、また夏至に近く薄明るい中で街歩きを開始しました。
1 班: 三鷹台~吉祥寺エリア
過剰にあかるい街路灯
1班は、京王井の頭線の三鷹台駅から吉祥寺駅までを街歩きしました。三鷹台から井の頭公園までは、川沿いの住宅街へと延びる通勤通学に利用される歩道から住宅街を中心に歩きました。川沿いの道は街灯はあるものの少し暗く、夜一人で歩くのには不安という声が多くあがりました。そんな中突如と現れる公園の異常にに眩しい灯り。通勤通学に使う歩道は、どんな人でも安心して歩ける明るさと、統一感のある明かりが必要だと思いました。
三鷹台の住宅街では様々な意見があがりました。街灯は一般的なものが多かったのですが、玄関先は個性的なものが多く、評価が高かったです。暖色系の門燈や、バックライトで照らす表札等が特徴的で好印象でした。
井の頭公園は、通勤通学路として利用されているためか、夜間でも多くの方が利用していました。その照明はさまざま。歩道に面した照明は基本的に眩しいものばかりで少し残念。LED照明は切れていたりして、そろそろ全面的に見直してもよいのではと感じました。
しかし、池のほとりはとても良い雰囲気。橋は暖色系の間接照明で彩られており、幻想的な雰囲気でした。なんといっても最大の英雄はきれいに見えた月。水面にうつる月は今夜の一番の英雄でした。
公園を後にして商店街を抜け、吉祥寺駅へ。商店街は温かみがあり、好感を持ちました。駅周辺は色とりどりの看板の数々。これは英雄と犯罪者、賛否がわかれるところでした。
今回は静かな住宅街から公園を抜けて駅へと歩きましたが、逆に歩いてもまた印象が違うかもしれません。適材適所、その場に合った灯りが大切だということを改めて感じました。
(坂口真一)
暗いほどに点在する眩しい街路灯
パンの自動販売機に、一同釘づけ
2 班:中野駅周辺エリア
中野サンモール
好評だった三番街の街並
2 班は中野駅をスタートとし、そこから伸びるサンモール、ブロードウェイ、早稲田通り、薬師通りへと横道を回遊しながら、また戻るルートを歩きました。
メインとなるサンモールから分岐する横町は異なる照明でまとめられており、それぞれの個性を発揮していました。街灯下の飲屋の雑多な光を考慮して街灯を設計したわけでは無いと思いますが、様々な光が交わり自然に溶け合っており、良い影響を及ぼしあっている感じがしました。
ブロードウェイでは、天井に緑色の光があり、「これは何だ!」となりましたが、調べると空間をビビッドに見せるためにあえて採用したものということがわかりました。当初の目的は達せられていますし、中野という街の特徴をあらわすには適した光だと思うのと同時に、商店街としては違和感を感じる光であり、評価を分けるなと感じました。
薬師ロードも商店街毎に街灯の形が異なっていましたが、基本的に3,000K 台の温かな光でまとめられており、落ち着いた印象を受けました。新井薬師に続く昔ながらの道では、途中にある美容院や飴屋など新しい建物も色温度を抑えており、古くからの通りにふさわしい良い雰囲気を醸し出していました。
しかし、商店街を少し外れたところにある住宅地用の街灯は、LED 化されていたのは良いのですが、非常に眩しく色温度は5,000K と高く、ランプ交換や遮光板の追加が望ましいのではないかと思いました。せっかくのお洒落な店に自動販売機が映り込み、景観を台無しにしていた箇所もありました。利便性と景観とどちらを重視するか、今後議論をしていくべきことではないかと感じました。
(田村聡)
街路灯の犯罪者と英雄
3 班:阿佐ヶ谷エリア
阿佐ヶ谷パールセンターのアーケード
2 班のスタートは阿佐ヶ谷パールセンター。日本で2 番目に古い商店街で、何度も改装を繰り返し、今は入口の特徴的なドームと白色基調のアーケードの綺麗な姿に生まれ変わっています。ここでは入口にある輝かしいパチンコ店がどうしても目を引いてしまいました。普通パチンコ店は最大の光の犯罪者のレッテルがはられてしまいますが、ここでは入口のウェルカム的な光を提供しているようで、もちろんパチンコ屋自体の照明を肯定はしませんが、そんなに悪くないのではないかと思いました。演色性の高い電球を使ったパスタ屋は全員一致で光の英雄。飲食店としてのこだわりを感じました。
反対に、照明が全く機能していない入口の案内板、色味の悪いLED によってピンク色に照らされた八百屋、蛍光灯むき出しの商品陳列棚、アーケードに使われている緑色の光が犯罪者として上がりました。
次に北阿佐ヶ谷。異なる商店街組合によって構成された静かな住宅街。組合によって街路灯の形状やデザインが違っていて、特徴的でした。河北総合病院の裏にある道沿いに立っている街路灯は住宅や病室に光が漏れないように遮光板が取り付けられており、当日の街歩きの過程で発見した最大の英雄でした。
その他神社の鳥居のアップライトも特徴的なグレアレス加工がしてあったり、黄色い光で照らされた暖かい雰囲気の古本屋があったりと、光の英雄の方が多いようでした。しかしこの和やかな雰囲気を壊すかのような眩しい自販機、光る看板等の光害は存在し、残念に思いました。
(黄思濠)
人の気配があまりないシーフォートスクエア
阿佐ヶ谷班集合写真
4 班:吉祥寺~三鷹エリア
4班は三鷹駅から井の頭通りを中心に歩き、住宅地や商店街を通りながら吉祥寺駅まで移動しました。
三鷹駅付近では横断歩道用の看板下照明、歩行者用の小さい照明、車道用照明と光の役割分担がされている点がとても印象的でした。ただ、周囲の店舗からの光を考えると、ここまでの明かりは必要なかったようにも思います。また平面状では均等に配置された照明器具でも歩道の幅、樹木の高さ、建物の密度など照明以外の要素によって大きく印象が異なることが分かり、鉛直面での照明設計が大切だと実感しました。
吉祥寺駅付近の繁華街は様々な看板照明により雑多な印象を作っていますが、多様な光による街全体としての統一感、パワフルさを作っているようにも思いました。また、駅直通のサンロード商店街ではメインストリートは照度、色温度とも高めに設計してあり、お店の光が通りにあまりはみ出していないため、とても歩き易く感じました。一方、メインストリートに繋がるサブストリートは照度、色温度とも低めに設計してあり、自然とゆっくり歩けるような明かりを作っていました。住宅街エリアでも大通りの明るさから、一歩住宅街に入ると数段明るさを落としてあり、光のメリハリが人々の生活と呼応していて、安心感を覚えました。
二駅間を歩き、どちらも都市スケールでは光の住み分けがされていて安定していましたが、建築スケールで見た際、吉祥寺の街の方が景観が整えられているように感じました。雑多な繁華街の様でいて、実は整理された街に感じました。下見の際は三鷹台駅から吉祥寺駅まで歩きましたが、同じ駅、光でも歩いてきた道順により全く異なる印象になり新鮮でした。これからも色んな街で一駅間歩いてみたいと思います。
(小薗早紀)
随所にベンチや階段が配され、歩く人がくつろげるスペースに
調査エリアをチェック
光と陰のコントラストが居心地の良さを作り出している
第41 回研究会サロン@照明探偵団事務局
2014.06.23 三宅博行
6 月13 日に行われたJR 中央線沿線街歩きの報告会を開催。4 つの班がそれぞれ特色を持つ4 つのエリアに分かれての街歩きの感想を写真を紹介しながら、語りました。
同じ光源の照明でも、場所や取付方法で、まったくその与える印象が変わってしまうことを実感
今年最初のサロンでは、JR 中央線沿線の、阿佐ヶ谷・中野・吉祥寺・三鷹を歩いた各班からまとめが発表された。街歩き直後の懇親会の時にも各班の写真を集め、最も重要な部分は発表したこともあり、サロンでの発表ではさらに深い考察がなされていたようだ。
まずは三鷹駅から吉祥寺までを歩いた班の報告を、小薗氏から。ポイントごとに自分たちの印象を数字にし、レーダーチャートにして見せていく。全体的には落ち着いた雰囲気の中に、意匠の凝ったポール灯があったり、オープンなBBQ 居酒屋があったりと、隠し味的な要素が点在しているようだ。次に阿佐ヶ谷駅周辺の報告を、黄氏・金子氏から。そこに、この町で青春時代を過ごした面出団長が追加で説明を加えてい。商業地域ではあるものの住宅街の中にある商店街という要素が強く、民家側に眩しくない配慮をした街路灯や、派手すぎないけれども趣向を凝らした店頭の光小物が印象的だ。そして、中野駅周辺の報告を田村氏から。このエリアの中で最もにぎやかな街の様子を、-5 から+5 まで点数をつけて紹介してくれた。サンロードやブロードウェイなど特に歴史を感じさせるものが残っているが、昔の写真と見比べると照明は変えられている部分もかなり多いようだ。最後に、京王線の三鷹台駅から吉祥寺までを歩いての報告を坂口氏から。住宅街と井の頭公園の様子を、多くの写真とコメントで報告してくれた。凝った住宅の美しい門灯に比べて、街路灯は眩しいものがただ並ぶだけで、印象に残らない。公園にも眩しいポール灯が立ち並ぶ。ただ吉祥寺側の入口だけは、色温度の統一や眩しさの抑制など配慮が感じられた。
パチンコ店も時には人を寄せ付ける光を創出しているのではないかという意見も
夜景写真の撮影方法を説明
さてこうして四つのエリアを比較してみると、それぞれの街が「昭和っぽさ」を色濃く残しながらも、その度合いには意外と差があるように見える。主に商業エリアを周った阿佐ヶ谷・中野では昭和の印象が濃く、住宅エリアの多かった三鷹・三鷹台では薄いようだ。やはり商業施設は時代と共に集客のために工夫を凝らし、変遷が早いという事だろう。一方住宅街では、日が沈んでからは特に、古さとか新しさとかいった要素を感じる事ができなかった。さらに言えば他の街との違いも洒落た門灯の有無くらいで、夜になるとどんどん薄れていってしまう。住宅街の夜景には時代や地域によらない最適解があるというのとは、残念ながら違うだろう。ずっと顧みられる機会がなく、昭和の時代からちっとも進歩せず、等間隔にポールを並べておけばいいという事になっているのだ。そろそろ探偵団で声を上げてもよいころかもしれない。
さまざまに工夫された街路灯
昔と今を比較しながら、気づいたことを発表
話が尽きず、あっという間の2 時間でした