文化価値を照らす出雲の明かり 2023.11.22-11.24 黒部将史+ 柴田雄太
弥生時代に村が作られ、出雲国が誕生して以来長い歴史と文化が残る出雲地域。中世から続く温泉のある港町で、世界遺産に登録されている石見銀山の外港として発展した温泉津町を含む石見地域。島根県の歴史と文化が残る2つの地域にはどのような光があり、照明は文化の価値を高めることができるのか否 か?文化的な背景とあわせて光環境を調査した。
■はじめに 島根県の出雲や石見温泉津町には出雲国が誕生して以来長い歴史と様々な文化が残る。文化の魅力の中にどのような光が見られるのか、歴史・文化的背景と併せて調査した。また、都市に長い間住んでいる私たちにとっては本来あるべき照明の役割を考えさせられる調査にもなった。
■神迎神事 出雲地域の旧暦10 月は神在月と呼ばれる。この月に八百万の神々が全国から一同に出雲へ参集するからである。出雲大社の西方1km に位置する「稲佐の浜」では、夕刻に御神火が焚かれ、神々をお迎えする「神迎神事」が執り行われる。浜全体は、弁天島に向けて照射する数台の仮設投光器で一面が薄く照らされていた。 午後7時儀式が始まると、人々の話し声が止み、さざ波と太鼓の音が響き渡る。沢山の人々が、浅瀬から浜、海岸まで列をなして並び、50m程先の御神火を見つめていた。私たちも靴を脱ぎ捨て海側からその一点を見つめる。海風で強く揺らぐ炎が、濡れた砂浜を暖かい色でうっすらと染め、緊張感と静けさが入り混じりながら、それを皆でただただ見つめた。神々を迎えるに相応しい厳かな光景であった。燃え盛る炎の光は神々を出雲に迎える指針となり、機能とは切り離された神聖な光がそこにはあった。
■神迎祭 神々を迎え入れた後、出雲大社拝殿に移り、歓迎の「神迎祭」が始まった。神々は白い布で覆われ、姿かたちはよくわからない。拝殿の外観照明は左右2灯の提灯のみで、大しめ縄をやんわりと照らしており、陰影がきれいに浮き出ていた。私たちの目には、神主が目には見えない世界と対話しているように見え、その世界と私たちの世界をつなぐ媒体として提灯があるように思えた。写真を撮ることさえ憚られるほど厳かで緊張感のある祭事だった。
■神議り 神迎祭後、神々は出雲大社より東の地域の神社に祀られる神様と、西の地域の神社に祀られる神様に分かれ、ご本殿の東西両脇に分棟した「西十九社」「東十九社」にて7 日間滞在される。その期間に縁結びについて話し合う「神議り(かみはかり)」が行われるという。 東西の十九社には明るさに大きな違いがあった。西十九社は、提灯のみで参拝者の顔が認識できない程の暗い環境。東十九社は、提灯に加え、ポール灯に取付けられた投光器によりざっくりと照らされて明るい環境。案の定、良縁を求める多くの参拝者が明るい東十九社の方に集まっていた。明確な意図はないと思うが、ご縁も様々で明るい場所と暗い場所両方あって良いと思う。また、ご本殿・桜門には、先ほどまでの神聖な神迎祭とは打って変わって、多くの人で賑わいを見せていた。
■松の参道 境内を出ると、神様の通り道である「松の参道」が一直線で続く。中央は神様が通るため、歩行禁止。左右両端に設えた提灯と足元灯の小さな明かりを頼りに出雲大社を後にした。(柴田雄太)
■温泉津町 温泉津町は、石見銀山の外港として発展してきた。周辺の山々の谷筋を切り開いた土地に、平入の町家を中心とした歴史的な街並みを形成している。高台から街を見下ろしてみる。ポツリポツリとある住宅の小さな明かりを黒い山影が夕暮れと共に飲み込んでいく。小さな街に住宅が所狭しと軒を連ねているため、町の明かりは弱いが、郷土の風景に溶け込んでいる。辺りが闇に包まれると、海側の街路灯の光が入り江の静かな水面に反射し、ひときわ目立っていた。
すっかり日が沈み、高台を降り、夜の温泉津の一本道を調査する。デザインされた街路灯とボラード照明が町屋に寄り添うような形で均等なピッチを保ち並んでいる。街路灯の色温度は3000K で路面の明るさは2lx ~ 8lx 程度。平入りの町屋からの鉛直面の明るさや漏れ光もあり、街路全体に程よい明るさ感が確保されていた。建物の屋根の向こう側の完全な闇を身近に感じる環境の中で、町屋の漏れ光はとても優しく、安心感を与えてくれた。また、この地域一帯の民家の屋根にはご当地「石州瓦」が多く使われており、この瓦の夜間の色味や光の反射具合が絶妙で、この通りの雰囲気作りに一躍買っていたのが印象的だった。
一本道を進むと、ひときわ明るく山の岩壁が照らされている、光だまりのような場所を見つけた。温泉津は、温泉地でありながらも、島根県特産の「福光石」の採石場としても古くから知られている。推測ではあるが、この照らされている岩壁も石工の痕跡があるため、現在は使われていない石切り場であったのだろう。周りにはこのライトアップの意図を説明する看板らしきものはなく、街の誰かが意図的にスポットライトを設置したと考えられる。控え目であるが、街の歴史である岩壁を小さな照明で照らし、街の魅力を伝えようとする試みに私たちは感銘を受けた。このストレートな先祖代々の文化へのリスペクトの現れに出会った私たちは心が温まり、そのせいかご当地温泉に浸かることなく就寝した。 古き良き日本の風景は、近年のLED 化と共存できると温泉津の街並みを歩きながら実感した。これからも、過度にデザインされることなく、温泉津らしい街並みを守り続けてほしいと思った。地方の都市化が進む中で、住民の自文化を大切にする意識を感じられる街が増えて、さらにこの温泉津のように照明がうまく街の雰囲気を向上させているのであれば、私たちにとってこんなにうれしいことはないのかもしれない。 (黒部将史)
■サンライズ出雲
日本海特有の冷たい季節風が吹く。我々の調査のもう一つの目的である、国内唯一の夜行寝台特急「サンライズ出雲」へ飛び乗った。 車内全体をざっくり観察すると、内装は丸みのある造形と木質感のある素材で統一されていた。2700 ~ 3000K の電球色の明かりが、造形や素材を活かして、温かみのある空間を演出していた。
両側に客室を設えた廊下には、扉前の天井埋込照明が左右交互に配置されていた。床面照度は約25lx。通路が狭く、天井壁面に少々ツヤがあることもあり、光が充満し、とても明るく感じた。 また、片側のみ客室を設えた廊下では、天井埋込照明と天井間接照明が交互に配置され、天井を柔らかく照らしていた。寝台列車の寝床の明るさを確保するための機能照明としては十分だが、ホスピタリティ空間としては、もっと明暗のメリハリを効かせた照明デザインの方が良いと感じた。 宿泊したシングル席には、室内灯と常夜灯の2種類の灯りがあった。室内灯をON にするとベッドの頭側と足側の2 灯が、常夜灯をON にすると頭側の1 灯のみが灯る。そして、両方ともOFF にすると客室内と外の明かりが反転し、車窓から都市の照明が現れた。常夜灯では頭上に光源があるため、とても寝られる光環境ではなかった。一方で、両方ともOFF の環境では室内が程よく暗く、窓に映る様々な移動光を無心で眺めることができ、快適な空間だった。
■まとめ 今回、島根県の出雲と石見の2 つの地域を調査して、光の犯罪者とはあまり出会わなかった。「神迎神事」で見たような長い歴史とともに残されてきた文化的な灯火や「石見銀山」「温泉津町」で見た様な文化の価値を守り続ける意思のある照明が多かったからだと思う。文化とともに継承されてきた照明文化に触れることができた。 ( 柴田雄太) 出雲にはたくさん闇が残されており、神迎の期間中ということもあって、その闇に神々の存在を感じた。また、出雲の街の光は間違いなく文化価値を高めることに寄与していた。これはコマーシャルではなく慣習として光への感性が人々に根付いている結果だと思う。この感性も次世代に継承していくべき出雲の貴重な文化の一つだと感じた。 ( 黒部将史)