Mutsuo Honma
Lighting Environmental Researcher
Kyoto

人類の歴史において、建築における光のデザインはどのように発展してきたのであろうか。 現在、私が宗教建築を対象として取組んでいる研究テーマですが、今回、その概要をお伝えさせて頂きます。皆様の熱きリアクションも期待しています。
現在においては、光は「空間を彩る」「気配を創る」といった概念が重要視されていますが、かつては、もっと単純だったように思えるのです。
石積みアーチ構造のロマネスク期においては窓開口に制約が生じてしまいます。なので、昼光に頼るしかなかった当時は、端部が開いたエブラズマンと呼ばれる窓が多用され、たくさん採光することこそが絶対的正義だったと解釈できそうです。またエブラズマンは直射日光の入射率も増しますので、薄暗い空間に窓から直線的に差し込む直射日光を、神からの授かり物のように捉えて、この情景を大切にしていたのではないかとも思われます。
ゴシック期になると、構造革命によって窓開口に対する制約が劇的に緩和されます。しかし、明るい空間の実現のはずが、実際には、大窓に低透過率の有彩色のステンドグラスを使って、あえて薄暗い空間を維持していたように見えます。そして内部空間はステンドグラスを透過した有彩色の直射日光に彩られることになります。ステンドグラスは聖書の記述内容を信者に向けてディスプレイしたものという説もありますが、いずれにしても薄暗い空間を有彩色光で「彩る」という概念が光に加わります。
その後、ルイ王朝の時代では富の不均衡か拡大して、王様一族は高価だった蝋燭を贅沢に使ったシャンデリアを吊下げ、煌びやかな空間で舞踏会を楽しむようになります。その是非はともかく、光に、「華やかさ」という概念が加わったと解釈できそうです。
時を経て、モダニズム期の巨匠はさらに暗く厳かな空間を求めたように見えます。ロンシャンの礼拝堂や東京カテドラルの光環境は歴史との照合において驚愕の異質さですが、その場に佇むと、決して暗くて気分が沈んでしまうというわけではありません。むしろ明るい空間にも負けない、一種の爽やかさすら感じられます。 こうしたモダニズム期に見られる光環境の突然変異は電気照明の出現に因るものと考えるのが妥当なのでしょう。昼光に完全依存ではなく人工照明で補完できるのであれば、曇天時のことも気にせずに自由に「明るさ」を表現できます。具象的に「明るさ」を表現するのではなく「明るい気配」を表現することが可能になったという解釈です。しかし逆に、電気照明を活用して、こうした概念が生じたのも歴史の積み重ねがあってのことなのでしょう。 「墨は極彩を兼ねるが如し」だそうで、水墨画は墨の濃淡だけで「色」を印象づけるものと定義できます。同様にモダニズム期の巨匠は、薄暗い空間のなかにおいて人々に「明るさ」を印象づけようとしたのかもしれません。光に「抽象化」という新たな概念が生じたとも言えると考えています。

本間 睦朗
立命館大学 理工学部 建築都市デザイン学科教員
京都
光環境デザインの秘密を解明したいと考えている。











