2013年11月09日~10日
祭りの歴史
一番大きい大松明が最後に建てられる。
御神火を神社から受け取る白装束の青年。
御神火を大松明が待つ五老山まで運ぶ。
小松明をもって、テンションが上がる団員。
予想より大きい炎に腰がひけている。
小松明は、大松明の周りの柵にかけて燃やす。
大松明への点火は、人が登って行う。
27本全ての松明が30分ほどかけて点灯された。
徐々に燃え尽きる松明。
祭り後、温泉旅館にて宴会
戦国時代、伊達正宗との戦いに敗れ戦死した兵の鎮魂の目的で始まったこのお祭りは、400年以上も続く伝統行事。東日本大震災の犠牲者と東北復興への祈りもこめられて行われています。
祭りが始まる
祭りは須賀川の大通りを大松明を運ぶところからスタート。29本の高さ10M、重さ3tの松明が手で運ばれ、五老山の頂上に建てられます。探偵団が会場に到着したのはまだ明るい頃で、ちょうど一番大きな松明を引き上げている最中でした。松明は大松明1本、姫松明1本と、本体松27本の合計29本立てられます。人力で少しずつ立ち上げるので随分と時間がかかっていました。点灯3時間前でしたが、すでに大勢の人が見学の為の場所どりをしていました。
御神火の受け取り
夕方5:00になると、白装束に身を包んだ20名ほどの青年の一団が、二階堂神社から御神火を受け取り、五老山の大松明を目指し、街を走り抜けます。青年たちの凛とした顔は、さながら戦国時代当時の若武者のよう。追いかけてついていこうと思いましたが、あっという間にはるかかなたに消えていました。
小松明で祭りに一般参加しました
暗くなってきた頃、小松明-火を吊り下げた子供たちの行列が会場に到着しました。竹竿に火をぶらさげた小松明、普段は接しない大きな火の塊を運ぶのに、子供たちは少し怖そうでした。一般参加もできるので、探偵団員10数名も松明を運びました。少し腰が引けていて、きゃあきゃあ叫びながら運んでいる様子は子供たちとさほど変わりませんでした。
五老山に到着した小松明は、次々に準備された柵にかけられ、勢いよく燃え移っていきます。
竹がはぜる音もあいまって、一気に会場のテンションが高まりました。
松明まで御神火を届く
しばらくして大松明、姫松明も立ち上がり、先ほどの青年たちが神社から運んできた御神火が順次灯され、10mもの松明が29本、勢いよく燃えていきました。
松明が倒れてきたら下敷きになってしまうくらい近い位置から眺めていたのですが、天を焦がしながら火の粉が飛び散る様子は圧巻で、都会では見られないスケールの炎に圧倒されました。
花火の音もそうですが、各国各地で行われる火のお祭りで、その国の雰囲気を強く印象つけるのに、音は一番大きな要素なのかもしれません。今回は炎だけではなく、竹のはぜる音や背後で演奏される太鼓、といった音の演出が雰囲気を盛り上げるのに重要だと再認識しました。
燃え盛る炎を間近にみると、時は400年経ってはいるけれど、火を前にした時の人の火への畏怖は変わらないのではないかと感じました。
(本多由実、東悟子)
磐梯熱海の温泉旅館へ
火祭りの炎とともに参加者のテンションもマックスになった所で須賀川を離れ、バスで一時間かけて今回のツアーのもう一つの目玉である磐梯熱海の温泉旅館に到着しました。寒さの中で冷え切った体を豪華な料理とお酒で暖めました。普段なかなか食べない高級食材もあり、皆で小さな幸せに酔いしれました。食事の後はいよいよお待ちかねの温泉タイム。それぞれリラックスしたひと時を過ごしました。
温泉で満足した後は団員親睦会。皆がお酒とおつまみを持ち寄って会場となる部屋に集まってきました。照明探偵団初参加の人、団員でありながら都合があわずなかなか活動に参加できなかった人、そして今や照明探偵団活動の常連さんとなった人達、いろいろな人が一斉に集まりそれぞれの照明に対する思いを語り始めました。徐々に団員の交流も深まり、結局その日は夜の2時までおおいに語らいました。
(黄 思濛)
祭りの感想
火がなくては一日も生活できない日常。日々身近な火をさほど危険だという認識をせず過ごしていますが、実際に空を焦がし自分よりはるかに大きい炎を間近でみると、その激しさに恐怖を覚えます。この火に対する恐怖は本来動物として備わっているものであり、忘れてはいけないものなのではないかと思っています。この体験を団員19名で共有することができ、いいツアーになりました。帰りの道中では次のツアー企画がいくつか上がっていましたので、来年も面白いものが実施できたらと思います。
(東悟子)