世界都市照明調査

都市照明調査: インド、チャンディーガル

Update:

2025.01.15-01.19 山本雅文 + 安齋雄一

今から約65年程前に、ヒマラヤ山麓の広大な敷地を首都機能、商業、教育、住居などの街区に分けて、道路を分離させたことにより、他のインドの都市とは全く異なる景観を創り出した。本調査ではコルビュジエの建築から感じる自然光の表情を観察しながら、チャンディーガルの都市照明、夜間景観の実態を多角的な視点で紐解いていく。

オープンハンドは平原を吹く風を受けながらその向きを変える

■光芒
はじめにコルビュジエの言葉を引用する。「チャンディーガルはヒューマンスケールで計画されている。それは無限の宇宙や自然とつながっている。市民が豊かで調和の取れた生活を送ることが出来る、すべての人間の活動のための場所だ。ここは自然と心の輝きが、私たちの手の届くところにある。」
舗装された広大な大地を白濁の濃霧が濡らす。今私が立っている地点から180m程先には高等裁判所がうっすらと見える。とてつもなく大きなファサードは東西を向いている。背景の空がポルティコの下から顔を覗かせ、そこを通り抜けた光芒が赤、黄、緑で塗られたコンクリートの巨大な柱をなでるようにすり抜けて、地に朝日を落としている。この街ではいくつかの抒情的な昼光の風景に出会うことが出来た。それは、このキャピトルコンプレックスを設計した、パリのアトリエ・ル・コルビュジエの思想が、街区にも広がりを見せたからだと思う。これまでチャンディーガルは建築の視点から議論されて来た。しかし都市照明の視点では語られて来なかったと感じている。本調査では自然光の気配を観察しながら、その功罪について考えていきたい。

左手前は影の塔、奥に建つ議事堂の屋根上の三角形が天文台、双曲面の中は議会場

■扉

太陽の軌跡が描かれた議事堂の扉絵

建築家が描いた自然光に対する想いは、裁判所の対面約450m先の、議事堂から読み取ることが出来る。その建物は屋上の双曲線からなるタワーの内部が議会場になっている。タワーの左の構造物はジャイプールの日時計や天文台を模した。天文に歩み寄ろうとするコルビュジエの姿は扉絵にも見られる。それは高さ約0.7m、横約1.4mのエナメル板を並べて構成された。合計55枚、高さ7mもの巨大な扉絵。人間と動植物が混在しながら息吹く緑豊かな大地の上空では、幾重にして惑星の軌跡が描かれている。よく観察するとその主題は太陽であることが分かる。上部中央の大きなアーチは夏の太陽の軌跡。水平線に近い方が冬の太陽。左端には太陽と地球、地球と月が描かれている。そして右端には夏至、春秋分、冬至が2枚のエナメル板に表されている。大きく重厚な扉絵はコルビュジエが描いた自然光に対するダイアグラムと言えるのではないか。扉はこの街を紐解く入り口なのかもしれない。

■影

そのような自然光に対する想いが、過酷なインドの気候を融和して室内に取り込む、ブリーズソレイユとして結実していったのだろうか。議事堂の傍に建つ影の塔は、言わば抜け殻のような建築。その全てが風にさらされながら、移り行く季節、天候、太陽に呼応しながら陰影が全く異なる表情を刻々と見せていくのだろう。コルビュジエがインド滞在中にアトリエとして使った建物、ジャンヌレの自邸にもブリーズソレイユが取り入れられ、やわらかな自然光が射しこんでいた。

■63色のパレット
コルビュジエは壁紙メーカーと組んで63色のカラーパレットを開発し、彼の建築に多用された。例えばサヴォア邸の1階の緑で塗られた外壁は、背後の森になじみ、自然光が軒に蹴られて陰ることで、建物に浮遊感を与えている。彼の建築には色と自然光の必然的な因果関係があると思う。ここチャンディーガルでも彼は色に何かのメッセージを込めたに違いない。議事堂の扉絵が、裁判所の柱と同じ赤、黄、緑を基調に描かれたのは偶然では無いはずだ。インドの地をめぐる中でコルビュジエが見つけた色彩。例えば、路傍の赤壁、黄土色の土、もえるような街路樹の緑に感化されたのだろうか。そしてキャピトルコンプレックスの無機質な大地に、街の鮮やかな色彩を出現させたのだろうか。
コルビュジエが設計した美術館の一つがここチャンディーガルにある。ブリーズソレイユを通してトップライトから射し込む光があたる壁面に色が使われている。彼は建物のきわめて重要な位置に、色彩を用いることで、捉えどころのない自然光の気配を効果的に用いながら、空間に限りない深みを与えていったのであろう。

■水辺
1950年代中期に行政施設のためにデザインされたPH28と呼ばれる椅子がある。それはチーク材を用いた特徴的なVレッグと籐で構成されている。この椅子をチャンディーガルのためにデザインし、街区の開発にも関わったピエール・ジャンヌレの存在も、都市を語る上では欠かすことが出来ない。コルビュジエと2人、お手製のボートに乗りスクナ湖に浮かんだ写真はどこか微笑ましい。都市計画の一部として作られた人口の池を、彼らは憩いの場と位置付けた。この場所には2つのガイドラインがある。1つ目は水上をモーターボートが走ることを禁止する。2つ目は遊歩道を車が走行することを禁止する。それらは今でも守られ、街の喧騒を静め、潤いある静寂の水辺の風景が保たれている。
遊歩道にはコンクリートで作られた、高さ600mm程の重厚な庭園灯が10m間隔で並ぶ。これはチャンディーガルが出来た当初からあるそうだ。色温度は5000K程。遊歩道を進むにつれて庭園灯の配置に秩序がなくなっていく。そこに天文学的な様相を感じずにはいられない。また、あたかもチャンディーガルの街並みで感じる、荒々しいコンクリートの重厚感のある風景から派生したかのようで、この街らしい照明器具だと感じた。夜の水辺は楽しげだ。あかりが都市と水辺をつなげ、潤う夜風が沿道を流れていく。ここは人々が語り合い、想いをめぐらせる場所なのだろう。

■オープンハンド
この街で最も栄える街区であるセクター17で、日没を迎えた頃に見た光景について触れておきたい。それは立体交差の柱のかたわらで、路上生活者が灯したあかりだ。焚き火のゆらめきは、それを囲む人々の顔と体を浮かび上がらせた。わたしは近くに居ることをためらい、少し離れた場所からシャッターを切った。都市夜景は決して美しい言葉だけでは語れない側面があると感じた。
コルビュジエがチャンディーガルに想い描いたのは理想的な都市の姿だ。しかし、元々この地に暮らした住民を締め出した結果、都市の中にスラムが形成された事実もある。つまり建築家の掲げた夢に格差を乗せて街は歩み続けて来たのだ。キャピトルコンプレックスに建つ街の象徴、オープンハンドはコルビュジエの死後1980年代に完成した。それは、あらゆるものを受け止め与える象徴としてのオブジェ。彼はこの街の完成を見届けていない。コルビュジエは今の都市の姿を見て何を想うのだろうか。
都市に生きる人間が灯すあかりは、スクナ湖の見事な庭園灯も、立体交差の柱のかたわらのあかりも、全てが夜間景観の欠かすことの出来ない要素だと思う。そこには何ら優劣は無いのではないか。照明デザインの手が届かない領域で起こる現実こそが都市夜景の本質を秘めていることだって十分にあり得る。そしてあかりはその地で生きる人々のありようをつぶさに映すものだ。
もしこれから先、高機能で、人を覚醒させるような、そして人間味に欠けるような、新しい都市夜景が形作られようとしているのならば、私は批判したいと思う。しかし建築や都市照明が成熟して来るのは、出来上がってから数十年の月日が流れてからではないだろうか。それがチャンディーガルに行って感じたことだ。この街には抒情的なあかりの風景が佇んでいる。それは都市が単純に機能主義に属されるのではなく、インドの広大な地平が奏でる気候の豊かさが守られたからに違いない。(山本雅文)

賑やかな店前

■セクター17
チャンディーガルの中心部、経済・商業の拠点として計画されたセクター17。街に入ると、シンプルさと雑多さ、廃れと活気、相反するものを同時に感じ取れ、他の都市にはない不思議な感覚に包まれた。
街は時代を感じさせるコンクリートの柱が連なる、シンプルで工業的な4層の建物が、幅50mほどのメインストリートの両側に規則正しく立ち並ぶ。歩行者と車両の動線も明確に分離されており、回遊しやすく、視界が開けた場所も多いため、大通りや広場からでも周囲の建物や店がよく見える。計画的に作られたショッピング街であることが実感できた。
建物の下層は、ローカルから国際的な最新人気ブランドまでさまざまな店舗が入り、多くの買い物客で賑わっていた。無駄のない街並みやビルのファサードに対して、自身をより目立たせたい店舗の姿が対照的で面白い。大盛の陳列やカラフルな看板、店前の照明もダウンライトや投光器、電球がぶら下がっていたり、柱に粒子のテープライトが巻き付いたりしている。街を歩きながら、四方八方からお店の熱気を楽しむことができた。シンプルで秩序だった緻密に計画された都市環境の中にも、インドの地元の人々の個性、エネルギーを感じ取れる空間だった。

■幹線
高さおよそ10m、5000Kの街路灯が30mごとに配置され、チャンディーガル南北を結ぶ主要幹線道路を照らしている。通常であれば目に鋭く刺さる光線が拡散し、街路樹や上方の大気までも照らす。空気中の微粒子がディフュージョンレンズの役割を果たし、空気全体が発光して見えた。光が質量を持ったようだった。
東西南北に交差する格子状の道路システムは、チャンディーガルの特徴のひとつだ。
歩行者、自転車、自動車は専用道路が整備されており、歩行や自転車による移動も促進されている。歩道には高さ約3.5mの街路灯が夜間、直下25lxほどの明るさで舗装面を照らしている。こちらも主要幹線の照明と同様に遮光されておらずグレア感があるが、密に生い茂る熱帯気候の街路樹が歩行者の目を守り、木漏れ日のような光のシャワーを体感できる。大気汚染と光害が共存する環境の中、夜間の道にも特徴的なチャンディーガルの光環境があった。

Pradeep 氏に案内してもらった街並み

■まとめ
今回の調査ではチャンディーガル建築大学の元学長であり、照明デザイナーとしても活躍しているPradeep氏に話を伺う機会を得た。話の中でル・コルビュジェの自然光に対する考えだけでなく彼がデザインした人工光照明についても教えていただいた。スクナ湖にあるコンクリートR立面を直接照し、優しく地面にも明かりを届ける庭園灯、議事堂には人背丈より高い意匠的な円柱状アップライト、またスカイライトにも光源が設置され、太陽光が少ない条件下でも建物内を自然に照らす工夫があった。どれも間接光をメインに直接光源が見えにくく、グレアへ対策が施されていることに驚かされた。
何十年も前から目に優しい光環境、光源を目立たせず建築や外構環境が輝く照明を実現させようとしていたのだと感じた。

今のチャンディーガルの人口光はどうだろうか。広範囲を煌々と照らす街路灯、賑やかな看板、店前のフラッドライト。コルビュジェの理想とした光環境ではないのかもしれない。しかし、整理整頓され緻密に計画された街並みと地元の人の生活、文化、自然環境が交じり合い活気が溢れていた。
ル・コルビュジェは自身が理想とする人間中心の合理的な設計、自然との調和をチャンディーガルで体現したとされる。広々とした空間と合理的な街路、シンプルで自然光を活用した建築。この調査では機能性と美しさが同時に追求された都市を体感し、また建築家の合理性には収まらない地元の人の生活、活気も感じることができた。その点ではコルビュジェの人間らしい生活が営める理想郷から決して乖離はしていないのではないだろうか。
街が築かれてから半世紀以上たった現在でも建築、街並みは地元の人によって大切に、愛されながら守られている。コルビュジェの理想をベースに、20世紀の近代都市は今後どのように発展してくのだろうか。(安齋雄一)

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