2025.04.19 木村光 + 東悟子
2023年に初めて飛騨古川でワークショップを開催した際、市役所の人にいかに古川町の方々が祭を大事にされているかのお話を聞いていた。飛騨古川まつり会館で祭りの歴史や屋台を解説いただき、街ごとにある屋台が保管してある蔵や各家の前に設置してある提灯台を見せていただき、古川の方たちにとって大切な祭の風景を調査したいと思い立ち古川に向かった。

毎年4月19、20日に開催される古川祭。ユネスコ無形文化遺産・国重要無形民俗文化財に指定されている。学校や仕事の為に町の外で暮らしている元町民も、この祭りの為に帰郷するという、町あげてのお祭り。一晩中大太鼓を叩きながら町を巡る「起し太鼓」とそれぞれの町内の屋台を曳き廻す「屋台行事」と、主に二つからなっている。
私たちが最初に古川町にワークショップでお邪魔した2022年の4月はちょうど祭りが終ったすぐ後で、祭りの興奮も少し冷め、片付けをしている様子が見られるそんな時期だった。市長に祭りの歴史の解説や本物の屋台が見られる飛騨古川まつり会館を案内頂いたり、実際に起し太鼓を叩いてみたり、各町内にある屋台蔵を巡ったりする中で、町のいたるところに古川町の祭りに対する思いが垣間見れ、初めての訪問者でもいかにこの町にとって祭りが大切であるかを知ることができる。
また、町に2軒ある造り酒屋のお酒が町の人の定番のお礼の品になっており、祭りでも大量のお酒が集まり、それを安く譲ることで、町の人も、町で商売する人も、そして酒屋も、皆喜び、お酒が町の経済をまわしているという話も伺った。祭りを起点に町のコミュニティの交流と経済の活性化がなされており、古川町にとって欠かせないイベントであることがわかる。
市長の祭りに関しての熱い思いや町のいたるところで見られる祭りの気配に、是非とも祭りを実際に見て、体感したいと思い、市からの祭りの案内を頂くと、木村団員と二人すぐに祭り参加を決めた。(東悟子)



夜の祭は20時過ぎから0時頃まで行われる。まずはまつり広場と呼ばれる場所に一同参集。人が乗れるほどの大太鼓を乗せた櫓を「起し太鼓」と言い、これを中心に各地区が保有する木棒に小太鼓をつけた「付け太鼓」が集まる。祭が始まり「起し太鼓」が町の中を進むと、各地区が「付け太鼓」を担いで後を追うように競い合いながら進む。「起し太鼓」に一番近づくことが名誉となるため、各地区が組の名前を大声で掛け合いながらぶつかりあう様子はなかなかの見ものである。これは「古川やんちゃ」とよばれ、過去にはよりヒートアップし、なかなか荒々しい祭だったと語られてる。ただし古川町は驚くほど治安の良い街で、このような祭が街の団結心を支えていることを感じさせられた。
まつり広場から「起し太鼓」が出発する前には、「付け太鼓」の木棒の上に人が乗る「とんぼ」と呼ばれるパフォーマンスが行われる。これも神事の一環かと思っていたら、昔誰かが待ち時間に披露し始めたのがきっかけらしく、各地区の男衆が順番に高い棒の上でとんぼの様に手足を広げるパフォーマンスをして、観衆を沸かせていた。このように人の頭の上を超える高さの起し太鼓やとんぼなどがあり、それをみせるような光が必要となる。既存の大型ポール灯と御旅所と呼ばれる建物の上に、白色の投光器が仮設で設置されており、祭の前は投光器が目立ち少し残念に思っていたが、高さのある起し太鼓やトンボを照らすこの光は、さらし姿の白さを引き立て、光源の輝度もこの活気ある祭の始まりには適している様に感じた。


「起し太鼓」がまつり広場を出ると、提灯を持った街の人たちがその前を歩き、「起し太鼓」があとに続いて進む。街の人は長い棒の先に紅白の提灯が付いたものを持って歩く。驚くことにその中には全て本物の火を焚いたろうそくが入っていた。大勢の子供から大人までそれぞれに提灯を持ち歩くのを見ると、街の人たちが本当にお祭りを楽しみにしていることを感じる。また行列の中には各組ごとの大きな提灯もあり、3m程度の大竹の上に提灯を付けたものもあった。小さい提灯と違い、光の動きや色見が違うため、今時はLEDを使っているのではと話しをしていたが、持ち手の方がそれに気づき使用しているろうそくを見せてくれた。和ろうそくで太く芯も大きいため、燃える時間も長く安定した大きな炎になるとのことだった。小さい提灯はよく見かける細いろうそくで、炎の色見は同じ様に見えたので、提灯に使われている和紙の種類や厚みによって色見が違って見えたのかもしれない。ちなみに、私が持っていた提灯はろうそくの固定が甘かったのか中で倒れ、火がついて燃えてしまった。燃えたのを見たのは私ともう一人くらいで、街の人は子供を含め慣れているのか危険な印象もほとんどなかった。
ろうそくにひとつずつ大事に火をつけることで、火を頂く神事の一部となり、祭の雰囲気や高揚感を掻き立てている。そのような行為を含めて大切な光の要素だと感じた。このような一つ一つのことを大切にする古川町の人たちの素晴らしさに感銘を受けた。


まつり広場をでてからの「起し太鼓」は、手持ちの提灯はあるものの、高さのある大太鼓部分が少し暗く沈んでいた。美しい街並みを進む「起し太鼓」の姿が、映えないのはとてももったいなく感じてしまった。その時に、誰かが撮影したカメラのストロボに照らされ、「起し太鼓」が提灯の中に浮かび上がった。それは瞬間的な光だったが、その姿が勇ましくかっこいい瞬間をとらえた。要所だけでも良いので、舞台の花道のように「起し太鼓」を光で狙う道があっても面白いのではないかと考えた。夜の祭だからこそ、光が良くも悪くも大きく影響したタイミングだった。
近年は文化や歴史を形式的に残すことが多くなっているが、古川町では街の人が祭を楽しみにしていることで大切に受け継がれていた。それはろうそく一つをとっても大切に行うからこそ宿るものなのかもしれない。そんな街の人が愛せるような街並みが今後も続くことを心より願いたい。(木村光)


