小津安二郎の描く温かい家族の風景には、決まって2つの自然光が登場する。輝かしく明るい太陽光と、温かい家族の象徴としての白熱ランプの光だ。
しっかりと計算され尽くした昼間の風景。必ず建具が開け広げてあり、たっぷりとした外の光が室内に飛び込んでくる。明るい外を背景にして家族の風景が構成されている。つまり室内にいても外の自然の気配が十分伝わってきて、外と内との間に隔たりがない。室内にいながら外にいる気分。だから映画の流れの中で室内シーンの後に屋外シーンが直接繋げられても何の不自然もなく、画面が途切れることがない。襖や障子や雨戸を思いっきり広げた時の気持ち良さといったらない。外の空気が家庭の中を自由に駆け巡っているかのようである。これは私たち日本人の特徴的な光文化であって、木造軸組み構造の家屋ならではの世界観なのだ。
「東京物語」にもこの開け広げの昼間の室内が上手く使われている。明るい太陽の当たる外の気配と、どんよりとした曇り空の気配。それらの背景としての自然光は、微妙な家族の心の絆をさりげなく表現している。
太陽の沈んだ後には2つ目の自然光が現れる。開放的な昼とは対照的に、温かい家族の絆を表すには1個の白熱灯。私は通常、灯火を第二の自然光を読んでいるが、小津の作品では白熱ランプがその代役を務めている。もともと白熱ランプというものは、90%以上のエネルギーが熱になってしまうような効率の良くない原始的な光源で、電球の中のフィラメントは、さながら炭がおきるようにして発光する。だから私は白熱ランプを灯火の親戚と呼び、第二の自然光として認めている。「東京物語」には乳白色のランプセードに収まった白熱ランプが家族の会話の中心に吊るされている。光源位置の明確な情景は、あかりを取り囲む人間関係に光と影のバランスを与えている。人工的で影の薄い高効率な蛍光灯の光ではこの効果は表現できない.
小津の白黒の画面には、家族の中の美しい光と闇が表現されている。撮影のためのむやみな補助光を極力なくし、2種類の自然光をミニマムに使うことで、むしろ黒々とした闇を活かしている。戦後日本の家族は、家の中から闇を追放しようと躍起になってきた。家の外と内をしっかりとした壁で隔絶し、部屋の中は影の作りようもないほどの強烈な蛍光灯によって、こうこうと白く均質に照らし続けた。 皮肉なものだ。家族の闇を無くそうとして明るく照らせば照らすほど、白けた家族が出来上がってしまう。「東京物語」に見られる美しい闇を、回顧趣味でなく現代に転用するには、私たちはどれほどまでの不便と辛抱を強いられるのだろうか。