私はどこの神様にも手をあわせることにしている。神社仏閣はもちろん、国外のキリスト教会やイスラム寺院にも頻繁に出入りし、その場の人々の祈り方をまねて祈る。それが私の作法。どこの土地や人々にも楽しい時ばかりでなく苦しい時や悲しい時が頻繁にやってくるに違いない。いい加減なように思われるかもしれないが、自分の理性や論理で律しきれない次元のことは神様や仏様にお尋ねするのが良かろうと信じている。もちろん私は無神論者で信仰する宗教もない。
ところがここ数年、渋谷区神宮前に会社を持つ縁あって地元の明治神宮に参拝を重ねている。しかもふらっと立ち寄るのではなく予約をしての公式参拝だ。初めは明治神宮の照明計画に関わることもあってお誘いを受け、私とスタッフの2名が突然、正式な参拝に突入してドギマギしたものだが、今年の参拝はLPAの公式参拝として申し込んだので、なかなか格式をもった身の引きしまる時間を過ごした。
本殿に向かうときに神様にお知らせする太鼓が打ち鳴らされるのだが、このときに体の後方から低い斜めの太陽光を受けて足元に光と影が交錯し、光と影とそのグラデーションには神が潜んでいるかのように感じた。一同の参拝するスナップ写真を見てください。皆が眠気も吹っ飛んでキラキラした光に包まれている。きっと私たちの日常の傲慢な気持ちも吹っ飛んだはずだ。
明治神宮を訪ねる楽しさは神殿の周辺だけでなく、むしろ深い緑の杜を抜ける光と風にある。原宿門の大鳥居から入るとゆっくり歩いて15分ほどか。途中の御苑にも立ち入ることをお勧めする。明治神宮は今年が本殿復興の50周年を迎えるが、美しい夕暮れに優しくライトアップされた神宮の社殿を目にする日も遠くないはずだ。ピカピカ明るくしないことがこんなに豊かなことなのか…と思わせるような光景を創り出したいものだ。