発行日:2015年07月13日
・照明探偵団倶楽部活動1/世界都市照明調査:メルボルン (2014/11/11-15)
・照明探偵団倶楽部活動2/東京調査:戸越銀座 (2014/11/07)
世界都市照明調査:メルボルン
2014.11.11-11.15 中村美寿々+峪田晴香
メルボルンは「住みやすい都市ランキング」で4年連続世界一位に輝く、英国植民地時代の建築と現代の都市計画が調和した、歴史とアートと自然に溢れる魅力的な街。その評価の素とは何なのか。昼間だけでなく夜景の魅力にこだわる照明探偵団が、初のオーストラリア調査を行ってきました。
人々の暮らしをなぞる明かり
メルボルンの中心部は基板状に大通りが整備され、州全体にとってのビジネス・観光の中心地となっている。整然としたオフィスビルの隣にビクトリア朝時代の建物が残り、その合間に自然発生的な路地が続き、さらには現代建築のファサードも共存していて、街並みはさまざまな表情を見せる。
街が藍色になる時間に展望台からメルボルンを見下ろしていると、窓明かりの消えたオフィスビルを島のように取り残して、地上に光が降りて拡がっていくように感じられた。人々が帰る郊外へ続く道路とその先の街並みは、澄んだ空気の先でキラキラとナトリウムランプの光が広がり、粒が揃ったその光は街路灯が整備された街並みを容易に想起させた。
中心部の大通りと郊外につながる道路とで、街路灯の色温度が明確に異なって計画されていることは俯瞰すると明らかで、人々が夜を過ごす場所へ向かうほど、色温度が低くなっていくようだった。
メルボルンの街の軸となる大通りでは必ず十分な道幅の歩道が確保されており、公共のベンチや通り沿いのカフェからのテーブルが置かれ、ゆったりと滞留できる歩行者空間が続いている。この広々した感覚や整然とした印象に対し、大通りから浸透していくように街のグリッドを埋める路地は、どこも両側をビルに挟まれた狭い谷のような空間で、カフェや落書きで溢れたわくわくする場所だった。
オフィスアワーが終わる夜には、昼間ににぎわっていたビジネス街の大通りではなく、細い路地が多くの人々でごった返す。大通りの街路灯や街路樹ライトアップの光は色温度が高く、木々の緑が映えていたが、カフェが連なる路地ではナトリウムランプや電球色LEDなど色温度の低い光源が対称的に使用され、メルボルンの人々はあたたかみのある光に集って賑やかな夜を楽しんでいた。
オフィスビルや大通りから、路地裏やマーケット、郊外の住宅街へと、夜には人々の活動をなぞるように明るさの重心がヒューマンスケールの空間へと浸透し、色温度が明確に移り変わっていく、メルボルンの街。仲間と夜に集う場所を、ビジネス街の光とは違う灯りで包もうという意識が、感じ取れるようであった。 (中村美寿々)
メルボルンを蘇らせた都市再生計画案
今では魅力的な都市と覚えられているメルボルンの街も、35 年ほど前には戦後の郊外化によって衰退した街の例外ではなかった。
1978 年に地元の新聞、The Ageに「The empty useless centre (空虚で機能していない中心地)」と書かれるような、人を置き去りにした街だった。そんな街から2005 年に同紙に 「Our revived urban heart has new beat (息を吹き返した都市の中心地)」と言われるような現在の街になったのは、1985年より始まった、一貫して歩行者を中心に置いた都市計画によるものだ。歩行空間の回遊性を高め、座って滞在できる場所をつくり、人々が街に出て、街の中に生活の接点を見つけられるようなパブリックスペースの充実が図られた。計画案は徹底したフィールドワークが根底になっている。
24 時間都市
都市計画案では、“24 時間都市” というキーワードが挙げられている。
24 時間都市というと、いわゆる 煌々たる” 眠らない街” を思い浮かべてしまうが、メルボルンは他の都市に比べ比較的閉店時間が早く、輝度の強い照明は見られない。メルボルンが目指している 24 時間とは、夜も街が人の生活の場であるべきということを基本に、夜間の安全性ということが考えられている照明環境だった。人通りの多い大通りは、ポール灯では積極的に明かりを取っていないようだ。閉店後も点灯された店舗の照明や街路木のアップライトで通りの明るさをつくることによって、深夜帯でも街の活気の余韻を感じることができる。その反面、人通りが少ないところでは、照明器具によって夜の環境が考えられている。
開口部のない壁が面している人通りのない路地には、下向き配光でしっかりと路面を照らし、見通しを良くするといった機能的な安全灯。暗がりになりやすい建物下の通路や通り抜けでは、 壁面や天井をウォッシュするなど面を照らして明るさ感を感じさせたり、意匠的なポール灯やペンダント照明によって街の賑わいや華やかさを引き込むといった工夫が見られた。
単調になりやすいプロムナードや街外れの通りには、ひときわ明るく照らされたモニュメントが一定間隔で置いてあり、 歩行をリズム感あるものにしてくれる。人の気配が感じられるような夜景を作り、安心感を作る。それが人を街に誘い込み、人の流れを作り、二次的に人通りの少ない場所を減らし、夜でも回遊性を楽しむことができる街にしている。
夜間人通りの一番多い、飲食店が並ぶスワンストン通りの歩道には、看板、庇下の照明が連なり、ポール灯が木々の間に並ぶ。歩道の店舗側は店舗の暖色系や看板など雑多な色の光が軒下に溜まり、車道側はトラムの停留所やポール灯の 6700Kの白の光が、木々や路面を照らしている。異なる光の性質によって緩やかな二つの空間が通りにできているように感じた。また、ポール灯の発光部が街路樹にかぶっていることで、木々の緑を中から照らしつつ、路面に木漏れ日のような影を落とし、歩く人々に木々を感じさせている。
街を演出するカラー照明
街では二階以上のファサードの外観照明やカラー照明は限られている。その大半は、商業施設ではなく公共の施設や空間で、シンボリックにその場所を演出しアクセントとなっている。街を歩いて見つけたカラー照明は大半が青色だ。駅や議事堂、教会といった重厚な建物がナトリウム色でファサードが照らされる中で、美術館や劇場、スタジアムなどの文化施設や、高架線路や橋などが青色で照らされて、対比して建物の持つ性格を際立たせている。
街路では、中華街は赤、ギリシャ人街は青のポール灯、教会が並ぶコリン通りの東側はピンクの街路樹アップライト、というようにテーマカラーが通りにつき一色使われており、碁盤の目に並ぶ通りを特徴づけていた。街中にみられる通常時のカラーチェンジ照明は、インジケータやゲートのように通りの両脇に立つポール灯といった周辺環境の中で点として見えるアクセント照明、そして周囲から十分なセットバックがある観覧車、そして広場くらいだった。文化施設のアトリウムや広場には、プロジェクタースポットやムービングスポット、カラーライティングがあり、“フルカレンダー” といわれるイベントの街に備えている。 人とカラー照明がふれあい、 舞台照明のように、 人々のナイトライフを彩る。こうした広場も、建物や木々に囲われて周辺へ影響をほとんど及ぼさない。
カラーチェンジは色の変化が周囲を照らさないものに限られているようで、慎重に使われている印象を受けた。文化施設の中でも、劇場の新旧問わずインテリアにも共通点が見られた。入口やロビーには赤色や金色の内装で、照明は黄色のフィルターやアクリルカバーによってつくられた”黄色”の光が使われていた。ファサードとインテリアが、青と赤・黄のコントラストによってアプローチを演出し、“特別な夜”の気分を高めてくれるような感じだった。
街の照明器具の意匠
ポール灯、ペンダント、ウォールスコンスのデザインは大きくヴィクトリア調のもの、クラッシックなもの、モダンなものに分類できる。それぞれの器具はパーツや仕上げ、ディテールの組み合わせパターンで出来ている。ディテールを見ていくとモチーフに共通点を見つけることが出来、面白い。
(峪田晴香)
川を抱く街の大らかさ
この都市で最後に忘れてはならない要素は、街の中心を流れるヤラ川だろう。湾岸へと流れ込むこの川に沿った中心街の対岸には、遊歩道が整備されて劇場やショッピングモールが立ち並び、その先には自然公園が広がっていて、魅力的な親水空間が街全体にある。
この心地よい水辺の遊歩道で気になったのは、“多機能ポール灯”に付けられた樹木ライトアップ用のスポットライトの眩しさである。水景も樹木も美しい遊歩道のはずが、LEDスポットの眩しさばかりが目に入ってしまった。総じてお手本のような照明計画が随所に見られたメルボルンの街だったが、全体的な優等生ぶりに対して、この遊歩道のように、配光制御された照明の横で強烈に眩しい明かりが同居していたり、屋内なのに屋外用の巨大な器具がむき出しだったりと、時折見受けられた「大雑把な照明が突如設置されている」という状況は、どことなくアンバランスな場面として記憶に残っている。
ただし、眩しいフラッドライトが設置された広場も、大振りのスポットライトが連なる美術館の展示室も、器具に気を使っていないというよりは、「光源が見えていることよりも対象を照らす効果を重視している」という印象を受けた。場所ごとの明かりを丁寧に設えようとしながら、それを生み出すディテールには少し無頓着…どことなく、オージーな大らかさを感じたのは私たちだけだろうか。
眩しい投光器も、広々とした青空の下で日差しを満喫している彼らにとっては、頭上から降り注ぐ光が賑やかな居場所を示すものなのかもしれない。
街を流れるもの
メルボルンは海に囲まれた本土と気候が似ていたから、イギリス人が好んで移り住んだ、という。今回の数日の滞在中でも気温や天気は変わりやすく、街の中心を流れるヤラ川が海からの湿度を運んできているようだった。そこにオーストラリアの自然と南半球の強い日差しが加わって、メルボルンという街には、街を満たす空気そのものがあらゆる要素の共存を許容するような、そんな感覚がある。
街並みの新旧、大通りと路地、歩行者空間とパブリックスペース、都市と自然…、共存しているさまざまな表情は夜になると、照明によってその個性を塗り分けられる。たとえば計画的な色温度の違いやカラーライティングによって、あるいは自然発生的な店舗の漏れ光や大らかなフラッドライティングによって。それらの個性は互いを打ち消しあうことなく街に許容され、街に暮らす人々のための心地よい光となっていた。
人々の過ごす毎日を流れるささやかな光が幾重にも積み重なって、メルボルンという街の光を作り出しているように感じられた。 (中村美寿々)
東京調査:戸越銀座
商店と街の光
2014.11.07 黄 思濛+岩田 昌大+畢 雲
全長約1.3kmに及ぶ戸越銀座商店街。戸越銀座商店街の端から端までを一直線に歩き、3つの連なる商店街を大きな視点からそれぞれの商店街の光の特徴を探った。
3つの商店街を読み解く
この3つの商店街は同様のゲートの看板や街路灯があるにも関わらず、それぞれの印象は様々であった。通過するだけでは気づきにくい光の特徴を探る事で商店街の本質に迫る。
商栄会の商店街には2種類の街路灯があり、色温度の高い蛍光灯が点灯し、新設された電球色の街路灯は消されていて残念であった。更にこの商店街の顔とも言えるゲートの看板照明も消され、直下で115lxと他の商店街よりも照度は低い。ゲートをくぐるという経験はこの商店街の特徴の一つであるので活かして欲しい所だ。ここは店舗数よりも築年数の長い戸建て住宅数が多いため、他の商店街よりは暗いが、明るくするだけが全てではないので、照度の抑え方や見せ方にも工夫が見られると、この場所の良さが出てくると感じた。
中央街は店舗が多く集まり中央には駅がある。コンビニやファーストフード店といった店舗が多数あり、漏れ光と賑わいが道に溢れているのが印象的であった。新設された個性的な形状の街路灯やLED化している店舗もあり照明に対しては積極的な姿勢が見られた。時間帯によって明るさはさほど変わらず、光環境がたくさんの人を捌く仕組みとして成功している印象を受けた。
銀六会の商店街は他の2つの商店街と大通りを挟み分離している。電球色の街路灯で統一されていて、店舗が閉店していても街路灯の光によって鉛直面に明るさ感が感じられ、住みたいと思わせる魅力を持っていた。駅近という立地に加えて、近年この地区で集合住宅の開発が進んでいる事がそれを裏付けている。住宅街寄りで落ち着きを演出する商店街、賑わいを作っていく商店街、今後開発が進んでいく商店街、それぞれの特徴を引き立てる工夫が出来れば、店舗と居住者と来訪者にとって居心地の良い商店街になるだろう。(岩田 昌大)
店ごとの照明特徴
商店街を構成する基本単位は店であり、業種により、それぞれ店ごとの照明も特徴がある。
演色性を求めるため、白熱電球を使用している花屋が多く見られる。ある意味「美」を扱う店なので、配灯や取り付けなどは一定のこだわりがあると感じられた。比較的飲食店の照度と色温度が低く、落ち着いた雰囲気を演出しているようだ。うす暗い空間作り故に、隣テーブルの客の様子が気にならず、プライベートが重視されていると感じられた。
一方、効率を求め、低い演色性、高い色温度の蛍光灯を多く使用している自転車屋には、赤やオレンジなどの鮮やかさがなくなり、機械的な雰囲気が漂っている。客のターゲット層にも関係が大きいと感じるが、八百屋や雑貨店といった店などは高い色温度(5000k以上)の照明を好んで使う傾向がある。平均照度も高く、300lxを超えている店もあった。それは商品をはっきり見せるための結果だと考えられる。
これといった特徴がある照明を持つ店は少ないが、照明について、全く考えていない訳でもないようだ。職種や客のターゲットが照明に強く反映されていると感じる。白くて(色温度が高い)明るければ(照度が高い)、照明としてよいという安易な発想は、まだまだ現状としてあるようだ。(畢 雲)
商店街周辺の光環境
商店街が暖かい光で構成された心地良い空間だという事は分かったが、周辺の環境はどうなっているのだろうか?
商店街から一歩離れて垂直に交わる通りに沿って歩いてみた。写真を見ても分かるように明らかに商店街の光は路地にはつながっていなかった。一歩外れると暗闇の世界に入り込んだ様な感じだ。目が明るさに慣れているため横道に入った瞬間は目の前が真っ暗になる、とても安全とは言えない環境であった。所々に商店街のポール灯が1本だけ立っているが、ほとんどが4500Kの蛍光灯が約3.5mの高さにそのまま取り付けてあるだけだった。住宅からの光はほとんど無く、蛍光灯のまぶしさから逃げるように住宅の2階はほとんどカーテンが閉め切られていて居住感は全く無かった。商店街の光が暖かい3000Kの光で包まれていただけに、横路地が通っている箇所は闇の世界への入り口の様で気味が悪かった。何かしら商店街から連続してくる光があれば全然違った形になっていただろう。商店街の中は各組合の格差はあるものの、光は統一されていて各要素の取り合いも上手く調和していた。ただ商店街から一歩離れると光環境が180度変わってしまい、商店街と周囲の境界線が露になっていた。自治体が違うので計画は難しいと思うが、地域に根付いた商店街なのでもっと周囲を巻き込んだプランニングが出来れば、と思った。(黄 思濛)