探偵ノート

第027号 – マンハッタンを散歩していて・・・

Update:

ショッキングなテロ事件の起こる2週間ほど前の8月末に、久しぶりにビジネス・ストレスの少ない時間をNYC・マンハッタンで過ごしました。大学で教鞭をとる、これまた忙しい女房殿との久方ぶりのバケーションで、街歩きを楽しんだのです。会社にはもちろん出張半分、と申告していましたが・・・。

私たちはアッパーウエストの80丁目当たりにウイークリーのホテルをとり、近くのZabers(ニューヨーカーの台所と言われる商品の豊富なフードショップ)でノルウェージャン・スモークサーモンを数種類買ってきて、焼きたてのベーグルに挟み、クリームチーズをたっぷり添えての、のんびりした朝食。昼ともなればきっちりした予定もたてずに、足の向いた美術館やソーホーのギャラリーを覗いたり、お茶したり、ショッピングをしたり・・・。何年ぶりかの「気ままな時間」をマンハッタンで過ごしたのです。

私たちには、長く日本で暮らしていたアメリカ人の友人家族がいたのですが、2カ月ほど前にNYに転勤して帰国したばかりでした。私たちは、彼らの住まいを訪ねました。奥さんのMicheleは日本美術史の研究者、旦那のBillはWall Street Journal の記者、Jacksonは日本で育った4歳の長男、Adelは6月に生まれたばかりの美人の赤ちゃんです。この4人家族はテロ事件のあった World Trade Center(WTC)に近いウォール街に住んでいました。彼らの住まいはセキュリティのしっかしたコンドミニアム。屋上に出ると目の前にWTCが見えました。

私たちは夕食前に、子どもたちを2台のベビーカーに乗せて近くのバッテリーパークを散歩することにしました。マンハッタン島の最南端に行くと海も広々見えます。秋の訪れを予感させる爽やかな海風。パークはここから東側へ、WTCを取り囲むようにして、シーザー・ペリのデザインしたWorld Financial Centerの方に伸びています。昔は治安の悪かったこの辺が、見事に住職混在型の高級住宅地になっていました。たくさんの市民が散歩をし、ジョギングやローラーブレードを楽しんでいます。ここから自由の女神を回る遊覧船も出ています。まるでNY市民の典型的な豊かな生活を絵に描いたような環境の夕暮れです。西側クイーンズの方に茜雲が広がり、思わずカメラを構えたかと思うと、ハドソン川を越えたニュージャージーの空には、典型的なブルーモーメントが忍びよってきます。自由の女神がほほ笑みかける夕暮れでした。夕食はWTCのほぼ足元。カジュアルですがどれをとっても美味しいイタリアンレストラン。私たちにとっては親友との久しぶりの再開、楽しく心休まる一時でした。4歳のJacksonは私との玩具遊びがが気に入ったらしく、次の朝に「Mende-san、次はいつ遊びに来るの?」という電話が掛かってきて嬉しくなりました。暫く電話口で子どもとの会話を楽しみました。

そんな思い出を残して帰国してから2週間後に、あの目の前にそびえていたWTCがあっという間に視界から消えてしまったのですから、もうびっくり。直ぐに彼らの自宅に電話しましたが繋がりません。仕方なしにe-mail。それも数日間過ぎて返信なしです。心配しましたが他州に住むご両親の連絡先が見つかって、やっとお父さんが捕まり、彼ら全員の無事が確認できました。Billは勤め先のWorld Financial Centerにいて、爆風で窓が全部壊れたそうです。直ぐに会社を出て煙の中を家族が住むコンドミニアムに戻り、一家4人がタオル片手に East RiverSideを北へ北へと数時間歩いたそうです。おぞましい光景だったのでしょう。あの安らいだ夕暮れのバッテリーパークを取り戻すのに、これから何年掛かるのでしょうか。いや、もうNYの人々の心にはあの安らぎは永遠に戻らないのかも知れません。しかし、そのような悲惨な事件は今初めて地球上に起こったものではありません。アメリカ人にとって最大級に惨事は、これまで世界中に繰り広げられた多くの紛争や戦争の名を借りて、半ば合法的に起こされてきました。

真珠湾しかり、広島、長崎しかり、ベトナムや湾岸戦争しかりです。誰もこれらの大量虐殺の犯罪を総括し、きちんと謝罪していません。ですからWTCに始まる象徴的なテロ行為を、私たちは単純な報復などで済ませることは出来ません。この重苦しい出来事を契機に、世界中の不幸に目を向けるべきなのでしょう。紛争や戦争がなくとも、毎日たくさんの人々が飢餓と病で命を落としてもいるのですから・・・。

今、Bangkokへ出張で向かう機内で書いています。探偵団通信の原稿としては、ずいぶん重たくなってしまいました。気分がそっちに行ってしまったものですから。たまには明るくない話題も大切に扱わなければなりません。

私たちは世界中の文化の異なる友人と、照明文化についての言葉を交わす機会を持ちたいと思っています。言葉や、歴史や、宗教さえも異なる人たちが、それでも照明探偵団の視点に興味をもってくれています。震災の起きた神戸市も復興事業の一環として「こうべ照明探偵団」という名の活動を行いました。NYCにも近いうちに照明探偵団の支部が出来ることを期待しています。世界中の不幸は容易になくなりませんが、芸術や文化の交流は、私たちの心の不幸を救う役割も果たします。明るいことは元気のもとですが、暗さを直視し、影を大切にすることも、探偵団の心構えかと思います。

ずいぶん文章が長くなってしまいました。短く書くのは難しいよね。
以上

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