白アスパラの登場に春の訪れを知らされるパリ。セーヌ川のほとりには風に舞う綿ホコリのような種子が飛び交い、暖かな陽射しを体一杯に吸い込むことができます。ああ、何と言ううららかな昼下がり。こんな日には徹底的にパリを満喫したいもの・・・。 というようなシナリオをでっち上げて、暫くぶりにガルニエのオペラハウスを訪ねました。土壇場で予約したので与えられた席は一階オーケストラ・ピットから3列目の左端、通路側の席。オーケストラの面々の細やかな表情がステージの役者たちの眼前の表情と重なるように見えてとてもいい。オケピットの指揮者も役者以上の熱演振りです。演目は蛙の失恋をコミカルに描いたフランスのオペラだそうで、10年ほど前にも同じオペラ座で観劇したはずなのですが、何が起こっているのかはチンプンカンプン。それでもさすがパリオペラだけあって、疲労した私の身体でも瞼を閉じる暇も与えないほど面白い。充実した時間です。
30分のインターミッションの時にオペラ座の中を徘徊しました。シャガールの天井壁画の迫力はもとより、シャンパンなどを振舞うホワイエやコンコルド広場方面に広がるバルコニーにも、たくさんの人が溢れます。
私が気がついた照明探偵の新たな光の事件。それは光と影の明確なパリであるべきはずが、ガルニエのオペラ座には影がない、という事実です。日本の近代化の過程で日本人は影を見捨ててきた、と言うのが私の定説ですが、日本人のみならずパリの貴族も夜に貴重な影を捨ててきた様子なのです。客席照明にしてもダウンライトなどの指向性のある光は皆無でシャガールの天井画を照らす間接照明と、中央に吊られたシャンデリアに取り付く拡散光源のみなのです。その光の下で、客席に着く人々は影のない光にさらさている。また、無数のシャンデリアで構成される晩餐室でさえ、こんなにたくさんのシャンデリアに埋め尽くされて、微細な影の落ちようもない空間なのです。すなわち19世紀のパリの貴族どもはおびただしい灯火の下に影のないのっぺりとした表情を余儀なくされていた、ということか。欧州の空間には必ず光と影のコントラストが共存していたと思いきや、このようなハレの空間では、影の出番もなく明るくきらびやかな夜を過ごしていたらしい。
陰翳礼賛。これは日本人向けの警鐘だけではないのかも知れませんね。古い時代にも多くの光を追い求めた姿が偲ばれました。