探偵ノート

第63号-子供の頃の遊び方

Update:

Interviewer: 柯 永林

面出:今日のテーマは子供の頃の遊びだっけ?

柯:はい。私には二歳下の妹がいて小さい頃からよく一緒に遊んでいました。

面出:おままごとでもして遊んでいたの?

柯:はい、中国でも同じような遊びがありよくやっていました。

面出:人形で遊んだりするのは女の子の遊びだよね。男の子では珍しいかもね。

柯:そうですね。その時は父が仕事で忙しく家に遊び相手が妹しかいませんでした。

面出:外で遊んだりはしなかった?

柯:小学校入学前は公園や遊園地によく行きましたが、小学生になると友達を家に呼んでPCゲームばかりしていました。

面出:今日はそういう話になるだろうなあと思っていたね。そういう世代だからね。

柯:面出さんの小さい頃はいかがでしたか?

面出:一人での遊びもあったけど、たくさんの友達とよく遊んでたね。大袈裟だけと遊び自体が子供にとっての仕事だし社会だと思う。だから遊びで大事なのは仲間とのコミュニケーションだね。友達を呼んでのゲームは普通何人でやるの?

柯:2、3人でマリオカートや魂斗羅、対戦ゲームをしていました。

面出:最近はコンピューター相手に遊ぶことも多いよね。僕が小さい時はコンピューターなんかもちろんなかった。テレビも街頭テレビの時代。町のそば屋にテレビがあってね、そばを食べなくてもラムネを1本買うとテレビをよく見せてくれた。コンピューターはなかったけど、僕はとても幸せだったと思う。遊びも自分たちでいろいろと考えて遊んでいたから。空き地がたくさんあって、穴を掘ったり隠れ家をつくったり。自分たちで遊びを発明していたんだよ。

柯:自分で発明はすごいですね。

面出:自分たちで乗り物を発明したり、危なっかしい家を作ったり。木に登るためエレベーターみたいなものを作ろうと思って、落ちて血を出したこともあったな。家で遊ぶようになったのは、中学生くらいからだね。「HOゲージ」っていう鉄道模型で、電車を自分で作るわけだよ。

柯:電車も手作りですか?

面出:キットで車輪とかあったりするだけど、架台は自分でケント紙を切って作る。お金持ちの家の子は天賞堂のすごい模型を持っていたんだけど、僕たちにはなかなか買えるもんじゃなかった。でも動力車だけ買ってきて他は全部自分で作ったね。

柯:駅とかも全部作ったんですか?

面出:駅やその周辺の街並みも作ったね。ただ部材も安くないから、みんな少しずつ部品を持ち寄って、みんなで手を加えると結構大きなものになった。家の中の遊びとしてはそういう遊びだった。

柯:私の外での遊びは妹と池での魚取りでした。

面出:釣りじゃなくて、手で取ってたの?

柯:はい底がぬるぬるの池に入って、手ですくっていました。

面出:それは危ないね。そういう池行っちゃいけないと言われなかったの?

柯:言われていましたが、親に黙って妹と二人で行ってました。新聞社ビルの庭園にあった小さな池ですね。

面出:田舎の池じゃなくて、柯さんは都会の深圳出身だもんなあ。自分で遊びをつくることはなかった?

柯:そうですね、おままごとの台本をつくっていたことぐらいですかね。

面出:僕らがみんなで工夫して遊びを発明したというのは、与えられた遊びがたくさんなかったから。危ない遊びもあったけどね。爆竹みたいなおもちゃもあった。僕ら2Bって呼んでたんだけど、先をマッチ箱にこすって火をつけると数秒後に爆発する。

柯:爆竹は普通に買えたんですか?中国は隠して売ってます。

面出:今はわからないけど、僕らの子供の時は駄菓子屋で普通に買えたよ。

柯:今は想像できないですね。

面出:シュッと火をつけてどこかに向かってパット投げる、何か焦げちゃったりして。夏はよくやけどするやつがいたよ。僕らの時代は危ない遊びが多かった。いずれ柯さんもお父さんになったらテレビゲームをガンガンさせるのもいいけど、ダンボールとかを与えて、何か作らせて子供に自分で遊びを考えさせるのも面白いと思うよ。

柯:面出さんと私の遊びは大きく違ってましたね。子供が出来たら自分で遊びを考えさせてあげたいです。そして外で汗をかいて、自然ともっと触れ合ってもらいたいと思います。今日はどうもありがとうございました。

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