Aleksandra Stratimirovic
Artist
Belgrade
…とは言ったものの、大きく変化したようで、ほとんど変わらなくもある。
私はアーティストなので、ひとり自分のスタジオにこもって作業することに慣れている。パンデミック中で、人との接触機会を減らすよう要請されている今と同じように。少なくとも私にとって、孤独というのはクリエーションの過程において避けられないのだ。私はコンセプトという重要なプロセスにおいては、自分自身で考え抜くことが必要なのだ。そして真の意味で確固としたアイデアやビジョン、目標が生まれた時だけ、自身の扉を開き世界と向き合えるのだ。この時期は楽しくもあり、嫌いでもある。一緒にブレインストーミングする相手がいないため、とてもストレスフルなのだ。そして自分で解決できるまで、毎度時間がかかってしまう。私が嫌なのは、自分の思いやアイデアが心の中にいるクリエイティブな『上司』を満足させられない時の無力感だ。しかしこのような時間は避けられず、自身の進化にとっても非常に大切なのだ。これだ!というアイデアが生まれ、私の心の『上司』にも承認されると、次のフェーズが世界に開かれるのだ。
このパンデミックを振り返ると、私たちの世界は大きく変化した。わずかではあるが、その中でもポジティブに影響した部分にフォーカスしてみたい。まず思い浮かぶのは、あの圧倒的に巨大な政治、経済、戦略… 私たち小さな個人に対するあまりにも大きくのしかかる絶望的なプレッシャーだ。しかしそんな嫌な時でも、こまめに手を洗うこと以外にもっと有益なことを学べるはずだ。日本では自然と行われてきた他者への思いやりのようなものを、私たちも持てるようになったと思う。お互いを思いやり、環境へも配慮することを学んだのではないか。より身近な環境に注意を払い、周囲に目を向け、小さな驚きや何気ない瞬間を楽しむようになり、おそらくストレスの少ないペースで時が過ぎていくようになったのだろう。いや、これはあくまで私の見解に過ぎないので、もしかしたら多くの人には当てはまらないかもしれない。
このパンデミックの数年間、私は運良くスウェーデンなどヨーロッパ諸国の公共施設でのアートプロジェクトに携わることができた。公園や庭園、駐車場や歩行者用トンネル、郊外の住宅地で光のアートを作り、様々なライトアートフェスティバルでは仮設の光のアートインスタレーションを作った。
パンデミックにより社会が閉ざされ、人々が会うことを避け、私がプロジェクトに携わった公共スペースも多かれ少なかれ、がらんとしていた。その中のひとつに、校舎と一体化したプロジェクトがあった。学校には生徒がいなかったため、私たちは制限を受けることなくその場所に出入りし制作をすることができた。通常人の多い公共施設では、アートワークを設置するための時間を確保するのは困難で、他の人の迷惑にならない時間帯に設営しなければならない。そうなると大抵人々が休みの日や変な時間帯になってしまうのだ。私たちは誰にも見られない時にだけ現れるお化けのようだ、とアーティスト仲間と冗談を言うこともよくある。このパンデミックの2年間、実際に私たちはそんな制約を受けずに快適に仕事ができているのである。
パンデミックの間、もう一つの信念がクリアになった。光の力だ。良い光のパワーの重要性が確かなものになった。私の場合、光のアートがもたらすポジティブな面にフォーカスしている。なぜならそれが私の専門分野であり、特にこだわっていることだからだ。私の経験上、アートに特化していない公共スペースで光のアートに取り組むことは非常に重要なことだ。例えば病院、学校、保育園、駅、問題のある郊外のエリアや退屈な通りなどだ。良い光は喜びや希望を与える。光は生命のエネルギーを吹き込む力と知識を持っている。人生のインスピレーションを刺激する。これはパンデミックにより世界が閉塞的になると、より顕著になった。光を使ったアートは、特別人々を惹きつける。光には心の奥に直接入り込む不思議な力があるのだ。様々な場所で、観客や通りすがりの人々と共に光のアートを体験できたことは、私にとって大きな喜びであり刺激となった。誰もが個々様々に、光に感動しているのだ。 ただ私はもちろん世界照明探偵団の集まりが恋しい。この地球上に散らばった照明探偵団の仲間と一緒に、意見や思い、アイデアを共有して過ごす貴重な時間が。
(Written on the way to Belgrade, passing through Spain)
Aleksandra Stratimirovic
アーティスト
ベオグラード
アートワークと光の分野で活動。スウェーデンや海外の公共空間で多くの常設アートワークを完成させている。また各地で活発に講演も行っている。