満開の桜が散ると、次に目の前の川辺には混色の緑がムッムッと生えてきた。春が終わり新緑の香りが風に乗ってくる。久しぶりに仕事も出張もない快晴の日曜日。独りで隅田川の水面を眺めていると「面出さん探偵ノートを忘れてしまったのですか?」という天の声が聞こえてきた。「そうだなあ、最後に探偵ノートを書いたのは何時だったか忘れたなあ」という体たらく。反省して、久しぶりに気楽な探偵ノートを書いてみる気になってきた。
今回のテーマは薄暮とオイルランプの相性だ。2枚目と3枚目の写真は先週ベトナムに出張に行く前日の拙宅のルーフガーデンでの撮影。夕日が沈みブルーモーメントのグラデーションが対岸の空を支配するころ、食卓のオイルランプに火を灯した時のものだ。我が家では薄暮の時間に外で飲みながら前菜をつまみ、しっかり飲み終わった後に室内に場所を変えてメインディッシュを楽しむことが多い。その前菜のだらだらしたとした時間の流れの気持ちよいことと言ったらない。屋外で微風を受け残照に包まれながらの食事は最高だ。透明な青い空を背景にしたオイルランプのオレンジ色の炎を想像して欲しい。透き通った青とオレンジ色の炎があるだけで遠い人類の祖先に思いを馳せることができる。くよくよ思い悩んでいた小さな事が吹っ飛んでしまう。これが自然光の力だ。
キャンドルは風に弱いが、火屋(ほや)付きの白灯油ランプならチラつきながらも炎が安定している。光量も調整できるので調光器付きの白熱ランプのようなものだ。拙宅では室内ではキャンドル、ルーフガーデンでは灯油ランプを使うようにしている。いずれにしても火を熾したり炎と一緒に食事をするのが気持ちよい。
4枚目の写真は私の大好きな先輩照明デザイナー、ポール・マランツと彼の奥様ジェーンを拙宅に招いたときのスナップショットだ。その日はポールが日本照明学会の設立100周年記念に招かれ『さよなら、ハンドルと白熱灯』と題する基調講演をした翌日だった。黄昏時の隅田川を眺めながら「やっぱりランプの炎が良いね……」と漏らした彼の言葉が印象的だった。自動車が自動運転になりハンドル無用の時代が来る。光源がLEDになり火の始末をする必要もなくなる。そんな未来を誰が望んでいるのだろうか。
久しぶりの探偵ノートにしては、少し説教じみた話になってしまったかな?
次はもっと柔らかい小話にしましょうね。次回のネタは「バルセロナの市場」です。
面出薫