Paulina Villalobos
Lighting Designer
Santiago
世界照明探偵団フォーラムに2008年にセルビアのベオグラードでは学生として、その後2015年にはメキシコで照明探偵団のコアメンバーの一員として参加できたことは、素晴らしい昼夜の光の文化的冒険となった。フォーラムのワークショップでは、光に対する知覚、思考、感情を、それぞれ自分たちの言語を使って伝える。しかし、異文化を体験した分だけ「あらゆること」を表現、理解、認識するための境界線が広がり、同時に言語の限界も問われることになる。
言語は現実をデザインするのに役立つ。
ギリシャの哲学者たちが目に見えるものをはるかに超えた概念を定義し始めたとき、言葉は単にモノや食べ物を説明する“音”から、哲学、美学、形而上学、民主主義など、思想を表現するものへと成長した。これらの新しい言葉によって、古代哲学者達は思考、コミュニケーション、そして現実の認識を拡大させた。
古代ギリシャでは現在のようにすべての色を表現する言葉はなく、基本的な何色かだけで生活し、複雑な哲学を語ることができた。その基本色の中に青は含まれず、不要なものとされ、きちんと知覚されていなかった。
大昔からの言語の進化が、現代のあらゆる言語での青の存在を可能にしたのだ。今の私たちが光について語るには環境を描写する青の概念が必要不可欠だ。この数十年の間に現実や環境は急速に変化し、私たちは環境を考え、認識し、表現し、設計するための「ギリシャの青空」、つまり欠けている概念を得たのだ。
光や照明に対する知覚を表現するためには、現在の言葉だけでは不十分だ。概念は私たちが必要とするときに存在し、新しい何かを表現するためには新しい言葉が必要となるからである。
このエッセイでは、より良い未来をデザインするための光の可能性を、より良い方法で表現するために、私たちに欠けていると思われる新しい言葉を厚かましくも提案する。いくつかの言葉は、私が知っている言葉から(少し)借用し、いくつかは全く新しい(これも借りものだが)ものだ。
- Utsuroi, 光と色の動きや変化を表す言葉
- Lagom, 夜間でも見やすい明るさ
- Griste, グレーがかった、拡散した陰鬱な光の感覚
- Nectric, 夜光るもので汚染された知覚
- Blansible, (or Whitessible) あらゆる白色光の可能性の知覚、あるいは視覚に関連する相関色温度の概念
1-Utsuroi (日本語)
日本語の「うつろい」、つまり光の柔らかな変化を表現する簡単な訳は他の言語にはないだろう。光の動きや色、強弱の変化を感じ取るには、時間と忍耐を必要とすることを意味している。
LED制御によるダイナミックな演出プログラミングの時代には、この言葉がとても重要なように思う。オン/オフのものや、瞬きする一瞬の間にRGBをダイナミックに使ってあらゆる色もしくは基本6色の照明スペクトルを必死に見せるようなオペレーションには、コンセプトというものがない。何でもかんでも早回しという下品なショーのようなものだ。
じっと耐えて感じ取る、柔らかで優雅な変化はどうだろう。この徐々に変化していく光を表現するために、Utsuroiが必要なのだ。それは自然界の優雅さでもある。
もし言葉が文化の概念を表すとしたら、日本の美術品に季節の変化を感じたり、建築に柔らかな陰影を感じたりするのは、私が知っている他の文化にはない概念かもしれない。
2-Lagom (スウェーデン語)
私は1年間、美しい街ストックホルムとスカンジナビア各地で勉強した。柔らかい室内照明のある素晴らしい場所、どこでもキャンドルの灯りが「必需品」となっている究極にミニマムな明かり文化。それゆえ、夜の照明は空間を圧倒するようなものであってはならず、そうでなければキャンドルの炎の控えめな光は意味をなさないのだ。
そこでは、キャンドルのあかりが夜間照明の知覚の隠れた基準になっていると言える。多すぎても少なすぎてもならない(Lagom)。 それで十分なら、なぜさらに使う必要があるのだろうか?「大きければ大きいほど良い」というのは、「十分である」というエコロジーのコンセプトの文化的反意語なのだ。
この考え方を光に当てはめると、夜に合わせたキャンドルによる照明は、顔や料理、また周囲がよく見えるので十分であり、適切と言える。太陽光の下では細かな顔のしみやシワ、建築空間のひずみや汚れ、未完成のディテールなど細部の醜い真実がさらされてしまうが、夜はその力で現実を覆い隠し、魔法の瞬間へと変えてしまう。
以上のことより、世界的な照明デザインの言葉には、夜間の視覚的認識にとって十分な照明レベルを表すこの言葉が必要だと思う。
さて、夜の光について語るためにはこれらの2つの単語だけでは十分ではない。光と闇は、オンかオフかで、その間には何もないようなものだ。この2つの全体主義的な言葉で夜の街の照明レベルを表現すると、夜間照明の惨状が出来上がってしまう。
ON、Total、Full、過剰、侵入、まぶしい光、光害を防ぐためのプロモーション
OFF – 暗闇 – 私たちが望むのは暗闇ではなく、lagomが必要なのだ。
フォトグラフィック、スコトピック、メゾピックといった、気分や感覚、知覚を伝えるための複雑な概念ではなく、デザインについて語るための言葉。
私は長年、照明条件の悲しさを表現する言葉を探していたが、最近、メキシコの作家ライア・ジュフレサが出した「Umami」という本の中に、グリステ(griste)とネクトリコ(néctrico néctrico)という2つの言葉を発見した。
3- Griste (スペイン語 Gris + Triste)
ちょっとグレーでちょっと悲しい。
光は常に幸せなものではない。最近私たちは、ある照明計画が良いわけでも心地よいわけでもなく、空間を悪くし、まぶしく、快適でないことを発見した。効率的な白い照明で演色性も悪く、色もなく、楽しくもない、Gristeな照明。
恐ろしく演色性の低いものを表わす言葉がないので、それを表す言葉が必要なのだ。
4- Nectric. (スペイン語でNéctrico or Néctrica)
夜光(nocturnal)と電動(electric)の中間的なもの。
私たちはこの世界が汚染された重い空気で覆われ、電気が絶えず流れ、巨大都市の空が異常に照らされている夜を簡単に想像することができる。
前世紀、夜の視覚環境は劇的に変化した。私たちの祖先はおそらくきれいで澄んだ夜の下で暮らしていたが、現代の私たちの多くは、夜は決して暗くならず常に空が光っているような都市に住んでいる。光は輝くというポジティブな意味ではなく、公害や無責任なエネルギーの浪費の代名詞となっている。
夜は人工的な輝きを放ち、映画や漫画、終末的な未来が描かれたコミックのように、これからの時代は幸せな場所ではなく、昼夜問わず拡散照明と汚れた大気の光る空があるディストピアとなる。悲しいかな、これが私たちの街の現実の夜空なのだ。
最後に、ポジティブな言葉で締めくくるための最後の提案を。
5- Blansible
スペイン語の Blanco (白・White)+ Posible (可能・possible) or Whitessible 白い面に白い光を当てることで、無限の可能性が広がる。
デザインや視覚のためには、CCT「相関色温度」よりもBlansibleの方が良い概念だと思う。なぜなら、私たちが白を使ってデザインするとき「本当の色温度」や「本当の色」を語っているのではなく、白の可能性、ムード、ミニマルな表面上の光の感覚的な知覚を語るからだ。色ではなく、白なのだ。
『Umami』の著者は、帰属意識を表す新しい言葉として考えたが、私は「blansible」を照明デザインの言葉として借りようと思う。この言葉はというのも、白色光の知覚のあらゆる可能性をデザインで表現するために、足りないコンセプトを満たすのに最適だと思うからだ。
この本の中で彼女は、登場人物の一人であるマリーナが、初めて自分の未来の家であるアマルゴの室内の白い壁の上に窓で切り取られた日の光を見て感じた自分の可能性を語っているが、言葉が足りない気がする。本物のCCT、または真っ白な表面に輝く昼間の光の無数の可能性が存在する。
スペイン語でBlansible(=すべての到達可能なターゲット)と訳すこともできる素晴らしい言葉だ。
英語ではWhitessilbe (white + possible)
ドイツ語でさえWeisskeit Weiss + möglichkeit (ところでこの言葉は私がドイツ語でもっとも好きな言葉だ。).
Paulina Villalobos
照明デザイナー
サンティアゴ
建築・都市照明デザインプロジェクト、ライトアートインスタレーション、光効率に関する研究を行うオフィス、DIAV Lightingのディレクター。チリのサンティアゴを拠点に活動。