探偵ノート

第036号 – 2000km欧州ドライブ旅行

Update:

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照明探偵団のHPが格好良く刷新されたというのに、この私の探偵ノートは依然として2004年の春にノンビリとホワイトアスパラガスなどをパリで食べている景色を伝えているという体たらく。これはたいへん申し訳ないことです。深く反省して、これからは欲張らず最低毎月一度は更新することにいたします。あまり長く書かなければよいのです。皆さんよろしくお付き合いください。

さて今回、探偵団事務局からは「昨年の初秋にドイツやチェコを回ったときのことを書いて・・・」というリクエストをいただきました。もう何ヶ月も前のことになるので、いやだなあと思っていたのですが、私がデジカメで撮影したスナップ写真をパラパラとPC上で送りながら回想しているうちに徐々に気持ちが入ってきて、「うん、この事件も探偵ノートに報告しておこうか」という気分になりました。私にとっては「欧州2000kmのドライブ旅行」は久しぶりのちょっとした事件でしたので・・・。

そもそも私の勤める武蔵美のゼミ学生を誘って(学生に誘われて?)短い期間に軽々しくレンタカー旅行しようとしたのが甘かったのかもしれません。2004年8月27日にFrankfurtで全員集合した13人(11人の学生と一組の夫婦)は大判のヨーロッパ地図を堂々と広げながら「南下してまずハイデルベルグにちょっと立ち寄って、それから一気にプラハに向かいそこで一泊。プラハに2泊してからドレスデンに立ち寄って一路ベルリンに入りそこで2泊。そして最終目的地のハンブルグで世界照明探偵団のイベントに参加して3泊し、早朝に出てフランクフルトの飛行場に向かえば楽勝!」というプランを立てたのです。私は既に何度もヨーロッパのアウトパーンを運転して移動経験たっぷりなので、地図上での距離を計って、それを平均時速150km/hあたりで割り算すればよし・・・と思っていたのが誤算でした。勇敢なわがゼミ学生はもとより海外での運転経験はなく、日本と反対車線を走るだけで緊張する上に、レンタカー代を安くする為にはオートマチック車を諦めてマニュアル車にしたものだから、運転に慣れるだけでたいへんな思いをしたそうな。中にはつい先月運転免許をとりました~、という威勢のいいドライバーも混じっていたのです。街のあかりを調査しに行ったのか、運転度胸と技術を付けに入ったのかわからないような人もいたとか・ .・。まあ、これも貴重な経験をさせてもらった、ということで無事故無違反(細かい違反はたくさんあったのだけれど警察沙汰にはならなかったという意味で・・・)で帰ってきたのが奇跡的と思えるほど、私たちは強運を喜び合いました。

まず、3台のレンタカーになってしまったことがまずかったのです。もちろん私が1台で走るのであればルンルンです。2台となると、ちょっと後ろを気に掛けてあげて・・・という感じ。しかし3台になると全く違って大所帯のキャラバン移動のようになるのです。それもなぜかチェコに入るためには車種の規制があるらしく、皆同じような濃紺色のワゴンタイプで見分けがつかない。昼間からヘッドライトをミラーアップして点灯することで精一杯仲間を主張して走っていたのですが、120~130km/hのノロノロ運転でさえ、高速道路で見失ってしまうこともしばしば。市街地を走る時などは信号に引っかかるばかりでなく、慌てて他の車に引っかかりそうになったり、横断歩道の人を脅かしたり・・・、とまあ3台連なって走るということがこんなに疲れることだとは知りませんでした。オマケに学生の車は交代するドライバーがいるのですが、私の車は私だけ。助手席で地図両手にナビゲーションに励む女房殿も疲れで頭痛と吐き気がしてきたとか。これからは海外で連れ立ったドライブはもういたしません。ドライブを楽しむ暇もありませんでした。

ドライブがたいへんだったということだけでずいぶん話が弾みましたが、学生たちにも聞いてみたいところです、ドライブは疲れただけの経験なのかどうか。希望的には何か輝くものを持ち帰ったと応えて欲しいところです。

フランクフルトでは私の常習のザクセンハウゼンでアップルワイン片手にでかい豚肉に食らいついて騒いだ後に、学生たちは貪欲に夜のマイン川あたりの夜景を調査撮影したようです。私は酔った後には仕事をしないことにしているので、学生たちを置いて早めにホテルに戻りましたが・・・。さすが面出ゼミの学生は体力勝負に強く根性があります。その後のプラハなどでは、四方八方に散りながらブルーモーメントの瞬間をいくつもの視点場から撮影しようと相互にぶつからんばかりに走りながら移動しています。見上げたものでした。私も負けじと急遽学習したニコンのデジカメ撮影に熱中したのですが、あまり熱中しすぎたあげくに、まんまとプロのスリ集団に財布だけきれいに抜き取られる惨事に会いました。見事な手口に完敗でした。しかし私もこのようなことは日常茶飯事、慣れたもの。直ぐに秘書に連絡し、全てのクレジットカードやキャッシュカードを封印し、多少の現金を諦め、暗い顔をしている女房殿を慰めて、けろっと30分前に起きた小さな事件を忘れたのでした。これは本当に私の誇れる才能です。人生、忘れることが大切なのです。

プラハの薄暮は本当に美しかった。 実は30年も前、学生時分に一人旅でプラハに来ているのですが、久しぶりにいい光に包まれました。川のある風景の距離感がいいのでしょう、照明技術的には色々不満もあるのですが、街があかりを吸い込んでいる感じがするのです。青い空の残照を街が喜んでいるかのように見える。そして夜を迎える暖かい色の街あかりが歴史を超えて人の暮らしを伝えているのです。 東京に暮らしているからこそプラハの夕暮れをないものねだりしているのかも知れませんが・・・。

ドレスデンではわずかに昼飯を食べ、美術館を走り回っただけでした。できるだけ遅くならないうちにベルリンに着こうと心に誓ったからです。ベルリンでは学生たちも「あそこに行こう、ここを回ろう・・・」などと、それぞれのイメージを持っていたようですが、皆が共通して行きたかったところはユダヤ博物館です。ダニエル・リベスキンドの代表作だけあって見事な建築設計の技を見た思いでした。以前に来た時にはどういう訳か(多分休館日だったのでしょう)中へは入れずに外をぐるぐる回っただけでしたから、内部空間でも、とりわけ天空光の少しだけ入る閉鎖的なコンクリートの空間には感じるところがたくさんありました。天井の僅かな個所からだけ、外部の様子を想像するための光が入射する。鳥のさえずりも木々の揺れ動く音も聞こえない・・・、ただわずかな光だけ。死を待つものにはあまりに凄惨すぎる時間です。深く考え込まずにいられません、この光は幸せを見せたのか、不幸を冗長させたのかと。

おやおや、あれやこれやと横道に入っていたら、もう与えられた字数になってしまいました。 ベルリンでは久しぶりに学生と離れてGrand Hyattに泊まり、ゆったりとプールとサウナ三昧をしたので旅の疲れが癒えたことや、その後のHamburgでの世界照明探偵団フォーラムでの私のプレゼンテーションを学生に誉められたことなど、語りたいこと山ほどですが、また次回と言うことにします。次回からは毎月1回、 1200程度の探偵ノートにしたいと思います。どうなることやら・・・。

050118 JL-719にて

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