探偵ノート

第77号 – MIT Chapelに澱む光

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このチャペルに来たのはこれで3回目だ。

ボストンにはその倍ほどの数を来ているが、時間が取れる時には必ずMITキャンパスにやってくる。季節によって漂う空気が違うことも気に入っている。緑あふれるキャンパスにぽつんと置かれたこの小さな礼拝堂の光環境に、私は裏切られたことがない。1955年にE.サーリネンによって設計されたこの建築は、建築が自然光とどのように出会うべきかを本当に良く語っている。

このような名建築の光は、言葉で語ってしまうと何処かで小さな嘘をついてしまっているような気がしてならない。「なにしろこの礼拝堂に立ち入ってください」というしかない。プロの写真家が撮影した劇的な空気には、その人のフィルターが掛かっているので、これも用心して感激しなければならない。建築の光については、巧みな言葉や美しい写真に騙されることが少なくないからだ。私は書籍で紹介される光には素直に感動できない性分で、その懐疑的な性格が気に入っていない。もっと単純に「うわー、きれい」と声を挙げればいいのだが、それができない。本で感動すればするほど「ほんとかな?」と疑う。疑いを晴らすためには、そこに赴くしかない。味、音、光は自分で味わうしかない。それがこのチャペルに何回も来てしまった理由でもある。

さて、私はこの礼拝堂を教科書的に語るつもりはない。興味のある人はWikipediaでもチェックして欲しい。ここでは、この建築が語る光との会話には素晴らしいトリックがあることだけを教示したい。

自然光のデザインは「どのように光を採り入れるか」を考えるのだが、この建築は「どのように自然光を感じさせるか」に長けている。サーリネンの考えたことは「わずかな光でも逃さず視覚に訴える仕組み」なのだ。シンプルな円形の祭壇に落ちるトップライトの光を、真っ白な大理石と、真鍮色をした金属片が拾っている。光の拾い方が絶妙だ。礼拝堂内部のレンガ壁との対比もあって、この大理石と空に舞う金属片が光の圧倒的な存在感を伝えている。また、このトップライトから入るわずかな光だけでなく、周囲に配置された水面に自然光を反射させるための池にも絶妙な仕掛けがある。礼拝堂内部からは気づくことが出来ないが、湾曲したレンガの壁面は水盤の上に立てられていて、時間によって変化する自然光の動きを巧みに伝える役割を持っている。こればかりは良い時間帯に遭遇した時とそうでない時との差が歴然としている。また、写真で示すように、礼拝堂に至る通路に埋め込まれた透明なステンドグラスも絶妙。透明ではあるが薄い色が施してあったり、拡散度が違っていたりして、自然界の景色を映し出すスクリーンになっている。

ああ、やはり、このように説明するとまた詰まらなくなる。何処かで大袈裟なのだ。何処かで小さな嘘をついている。このチャペルに触れた私の3回の感動だけは本物だが、やはりここに行って貰うしかない。信頼できるのは自分の五感だけなのだから。ボストンに行ったら忘れずに訪れて欲しい。 面出薫

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