コーヒーブレーク: 面出さんと私
Interviewer: 斉藤 有希子
テーマ:『被災地の照明』
斉藤 今回は、私が生まれた岩手県陸前高田市が被災したということで、「被災地の照明」をテーマにしてお話したいです。
面出 震災後、陸前高田に行ったの?
斉藤 3回行きました。
面出 やっと1年経つんだよね。少しずつ瓦礫が取り払われて整理されてきてるようだね。
斉藤 はい、12月には全てがなくなってしまった市街地に、2つ目の交通信号機ができました。 震災から7ヶ月経った11月にも「街路灯がなくて夜道が暗くて怖い」ということがニュースになっていました。照明に携わっている私たちが今すぐ、「暗くて怖い」ということに対して、何かしてあげられることはないでしょうか?
面出 街が自然災害で破壊され、電柱や地中の配管など都市構造的なものがなくなっちゃうと、配線すること自体が難しくなる。例えばソーラーのパネル付きの街路灯は配線なしでできるから、そんな照明器具を国が大量に支給したらいい。とりあえず街が停電しちゃっても配線が必要なくて自然エネルギーで発電できる照明があるというのが一案かな。
斉藤 車で瓦礫の中を通った時はヘッドライトだけしかなく、遠くに家の明かりがポツン、ポツンと見えるだけでした。素人考えで、畜光材等を撒けばいいのではないかと発想してしまうのですが。
面出 そういうのはだめだよ。
斉藤 どうしてだめですか。
面出 畜光材は太陽光を受けて、そこにエネルギーを蓄えて、暗くなっても輝くっていうことだけど、長く輝かないし、非常に僅かなふわ~っとした輝きだから。蓄光とか蛍光というのは一つのアイディアで誰でも考えるものだけど、めちゃくちゃコストが高くてバラまけないですよ。それに街の明るさとか安全を作るっていうことにはなかなかならない。
斉藤 そうなんですね。
面出 街が暗くて気持ちが暗くなる、ということと、自転車で暗い夜道が安全かということは本質的に違うんだよ。 安全面では、わずかな光でも反射させる反射シートを色んな所に貼ってあげると明らかに変わるよね。ヘッドライトが反射するものがあれば街路灯がなくても走りやすくなる。インドの山の中で街路灯なしで走らざるを得ないところは、車がぶつからないように木幹の一部が白く塗ってあったりする。 真っ暗になっちゃった街が勇気づけられるためには、やはり灯りの量が必要だね。僕らの社内コンペの中にあった光のバルーンは良かったね。でも初期的にはやはりソーラーパネル付きのものがいいんじゃないかと思うんだけど、例えばそれが一万円ほどの照明器具で、皆がそれを被災地に寄付する。義援金で「灯りのプレゼント」みたいにして暗くなっているところに一万円ずつのあかりを、世界中からプレゼントするっていうのもありと思うんだよね。
斉藤 灯りのプレゼント、いいですね。
面出 今回の災害で学ぶことは自然エネルギーでできることに慣れた生活感覚を取り戻すこと。火を焚いたりキャンドルで暮らすという電力のない生活が余儀なくされるということをいつも考えなくちゃいけないね。ひとつのソーラー発電システムで自分達の使う電力がまかなえるっていうことが健全なんだよね。足らない時はお父さんが一生懸命自転車をこいで発電してもいい。
斉藤 震災直後から、いつかあの田舎の街が私の好きなLPAの温かい光で照らされることが私の密かな夢です。
面出 こういうのは仕事ではないので僕たちはボランティアとしてやるんだよね。本当は国が街づくりに対して、専門家も加わりなさい、という仕組みができてくるといい。そうでないとすると、行政担当者は少ないエネルギーで一番効率の高い真っ白なLEDにしましょう、となる。でもそれは僕らとしてはちょっと違う。斉藤さんが「LPAの照明が温かくて好きだ」と言ったのは、効率は少し落ちるけど、色温度の低い光のほうが街が温かく気持ち良く見えるんだね。復興の際には、何ルクスという計算だけでなく、心理的にも生理的にも光が人にどういう風に作用するかっていうことを、ないがしろにされちゃうことが一番心配だよ。眩しくなく真っ白じゃなくて、温かい、ということをちょっと考えてくれるだけでも街の雰囲気は違うし。
LPAで「災害に強い照明デザインプロポーザル」という社内コンペをやったことは良かったけど、被災地に行って目の当たりにしてないから、想像の域を超えないアイディアが多かった。もっと実利的に被災地の方々に役立つことをこれからやっていきたいね。復興はそんなに簡単にできることじゃないから、新しい街や村をつくっていくっていうことを5年、10年見据えても、僕らのライフワークとして行きたいと思っている。
斉藤 新しい街が被災地の方にとって温かい街になるよう願うばかりです。私も長い目で復興に携わりたいと思います。ありがとうございました。