探偵ノート

照明探偵団30周年特別企画 -円卓座談会-

Update:

Interviewer: 葛西玲子  

面出さんはLPA事務所を設立してから2回ほどトイレットペーパーがホルダーで空になっていることを経験し激怒したことがあります。

「誰が空にした後に新しいペーパーをセットしなかったのか? 直ぐデザイナーをやめてくれ」

つまり、デザインとは、自分の周囲のことへの心遣いだという面出セオリーです。その気遣いのできない人間はデザイナーを志す資格はない、と。

トイレットペーパーのことを公に紹介するのは今回はじめてです。

LPA創設者・面出と現在の役員3名・窪田麻里、田中謙太郎、葛西玲子でLPA30年の道筋を振り返りつつ、LPAというのはどんな会社かということを改めて話し合ってみたいと思います。 今日は葛西が進行を行います。

葛西: おっと、昨年始めに移転したばかりの新しい事務所には2400φの丸テーブルがないですね。

窪田: LPAは今や丸テーブルを囲めないサイズになってしまったということです。

葛西: 現在LPAは東京、シンガポール、香港に事務所を持ち併せて60ほどの純粋に照明デザインだけを行う会社としてはかなりの大所帯ですが、その当時、世の中はどんな状況で、照明デザインを取り巻く環境はどんなものだったのでしょうか?

面出: 私が照明デザインの道に入ったのは43年前、その当時日本には建築照明デザイナーはいませんでした。

1990年8月8日にLPAを設立して、3日後にラファエル・ヴィニョリ事務所から連絡があり、東京国際フォーラムプロジェクトの仕事が始まりました。LPA受注プロジェクト第一号です。

当時は、日本国内の志の高い建築家― 磯崎新、槇文彦、伊東豊雄といった人たちが一斉にLPAに注目してくれましたね。

彼らとのプロジェクトが、LPAの礎をつくっていきました。

葛西: 窪田さんは1994年に新卒で入社したわけですが、その当時のLPAはどんな雰囲気でしたか? どのようにしてLPAに入社することになったのでしたっけ?

窪田: 建築学科で勉強中にたまたまLPAの仕事を知る機会があり、そこで初めて照明デザインという職種を知りました。 まずはアルバイトで入り、最初はスライド整理ばかりしていましたが、面出さんたちが各地で撮影した建築や空間を光で捉えた写真をたくさん見ることが、とてもよい勉強になりました。

次第にプロジェクトに関わるようになり、建築を光でいかに美しくみせることができるかに魅せられ、そのまま現在に至るという感じです。建築家と違って、常に複数のプロジェクトを抱えているので、仕事が途切れることがないというのが照明デザイナーの特徴ですかね。

葛西: 謙太郎さんと私は同じ95年に入社しました。謙太郎さんの入社の動機はなんでしょうか?入ってからしばらくは、当時“模型室”と呼ばれていた小部屋でただひたすら模型をつくらされていましたね。

田中: 私は空間デザインの学生だったときに、大学に講義に来られた面出さんにその場でアプローチしました。 当時は建築家からの依頼のプロジェクトがほとんどだったので、今にしてみれば、丁寧に模型をつくって建築家との設計のプロセスに時間をかけられていたのだと思います。 実務経験がない中で、模型をつくることで空間の理解を深め、そこで手を動かしたことが、のちに現場で空間が出来上がっていくときに直接つながっていくことを実感しました。

数えられないほどのスライドのストック
模型製作

 

葛西: 私はといえば、面出さんの秘書広報係として雇用されました。

就業2日目、今日は何をすればよいのでしょうか、と聞いたらルイスカーンのlight is the theme を渡され、これを日本語に訳してみて、と言われぽかんとした記憶があります。

LPAに惹かれた理由は、照明探偵団です。机上の設計作業だけではなく、デザインと社会を繋ぐものとしてのノンプロフィットの放課後の活動をやっているということに、この会社は立派だと思いました。

95年というのは、設立5年たって、ひとつの節目となった一年ですね。

隈研吾さんの事務所の近所だった最初の社屋から移転して、今度は伊東豊雄さんの事務所のすぐ近くになりました。結局この事務所は昨年の初めまで、25年間もいたわけです。

95年末から、東京デザインセンターで、照明探偵団の毎月の講座をはじめ、作家やアーティストと毎回文化人をお迎えした一般向けのトークの会、東京の夜の光を探検するツアーなど、照明デザイン業務以外のパブリックイベントを開催するようになりました。 照明デザインの会社なのに、なんでこんなことで忙しくしなくてはいけないのではないかと思ったのではないですか?

窪田: 毎月のトークイベントを通じて、段取りをたてるということを学びましたね。毎月いかに効率よく準備するかを工夫する中で、チームワークが育まれました。

葛西:ああ、“段取り”というのは、面出さんの好きな言葉の一つですね。

窪田: それから後25年間、市民に向けた非営利の啓蒙活動としての照明探偵団としての様々な活動がずっと継続して行われているのはすごいですよね。

葛西: 日本国内では、照明探偵団の精神を受け継いで、市民を巻き込みながら街の光を整えていくという地方都市の公共のプロジェクトも動いていますね。 その土地の文化と歴史を理解し、民意を反映させながら照明デザイナーと行政とが一緒につくっていく景観照明というのは素晴らしいと思います。

国家主導の都市計画により街が作られているシンガポールでも、そのような取り組み方ができるか、現在、LPA事務所のある地域でコミュニティ・ライティング活性化計画を仕込み中です。

照明探偵団の活動はLPAの大きなアイデンティティの一つとなっています。

国外のメディアにも紹介されるようになって、照明探偵団という言葉に反応してきた照明デザイナーとのネットワークが少しずつ広がり、それが世界照明探偵団(TNT)に繋がりました。

2002年に東京で第一回のTNTが開催され、ヨーロッパ・アジアの各都市、アメリカを巡り15回ものフォーラム・ワークショップを積み重ねてきました。

2000年になり創立10年を迎え、シンガポールに事務所を開設しました。

LPAの日本での出発点は、建築照明デザインが根幹で、日本が世界に誇る建築家が担当するプロジェクトを中心に、日本の建築文化に新たに文字通り光を与えていくということにあったと思うのですが、仕事範囲が日本からシンガポールなど海外に広がっていったことで、仕事の種類だけではなく、デザインへの取り組み方も進化していきましたね。

窪田:2000年頃までにはプロジェクトを任されて担当するようになっていたので、単独で現場に行き、建築家とのやりとりを通じてデザインを立案し、現場が出来ていくことがとても楽しく思えました。槇さん、谷口さん、といった素晴らしい設計者の公共建築の仕事に、自分で身体を動かしてつくっていったという充実感がありました。

六本木ヒルズという大規模な開発プロジェクトに関わるようになった頃から、仕事も建築家から依頼されるのではなく、徐々に事業主からの依頼に移行していった印象がありますね。

田中: 私が最初に関わった国外プロジェクトが、1999年の竣工直後のクアラルンプール国際空港のライティングの改修ですが、日本のプロジェクトとは体質も作法も全く違う。そのことに驚きました。

同時に、日本の施工の品質の高さに改めて気が付きました。

葛西: 政府が強い牽引力を持つシンガポールは、都市計画も国家が先を見据えた計画を随時更新して常に前を向きながら開発が続いている国です。この20年の間に、かなりのスピードで開発が進みました。
私たちは、照明デザインの仕事を通じてその変化を目の当たりにしてきました。

都市計画に伴った夜景の計画の推進も、目を惹くようなモニュメンタルな開発もシンガポールだからこそで、シティセンターの光のマスタープランやガーデンズバイザベイなど、LPAはこの都市国家の夜景づくりに貢献してきたという自負があります。

ただし、自分たちが提案したものに対して、出来上がった後で暗すぎると言って光を過剰に加えられたり、最終的に照明デザイナーの成果物としてどこまで受け入れられているのか常に疑問はありますね。

世の中には照明デザイン事務所がたくさんありますが、何がLPAの照明デザインの特徴でしょうか。

面出: LPAの仕事は暗い、と揶揄されることがありますね。 私は若いころに、先輩に20%ほど明るさを足して設計しろ、その方が安全だ、と教えられました。 しかし、ギリギリの明るさ暗さを常に担保するのがプロだと思っている。

「自然光に学ぶ」というのはLPAのデザイン原則ですね。 私はこれを所員にもずっと言い続けてきています。

田中: 些細なことを丁寧に積み重ねていく、これは初期の模型造りで学んだことでもありますが、この基本的な姿勢こそが、LPAが建築プロジェクトに貢献できてきた証だと思います。

面出: そうだね。丁寧な仕事、そして“コンセプト”と“ディテール”の両方がLPAの生命線です。プロジェクトを通じて何をつくろうとしているのかという意思を持った照明デザイン、できあがるものへの責任感の強さはLPAが大切にしているものです。

葛西: 今の若い所員は、窪田さんや謙太郎さんが入社した頃のLPA黎明期の模型つくりや、ディテールの検討など、手と身体を動かしてつくる照明デザインのプロセスの所作を知らないですよね。

建築家とのやりとりでデザインがつくられていった初期から、現在は、クライアントとの接点で設計をすすめることが主軸になってきている。特に日本の外ではそうです。

その中で、どのようにLPAのデザインDNAを守り、なおかつ新しいテクノロジーやエンジニアリングを駆使しながら、美しい仕事を重ねていくということが常にチャレンジとなりますね。

また、LPA内でも、窪田さんは建築家との協働作業で空間をつくっていくいわゆる建築照明デザインに、謙太郎さんはホテルデザインが最大の得意分野と、それぞれの個性が発揮されています。

経験を積んだ才能のあるデザイナーたちが、それぞれの持ち味を生かした取り組みができる環境は大切です。

現在、社内の課外活動として運営されている“エキスパート”活動も、各デザイナーの興味や特性を伸ばしていくという意味でとても有意義ですね。

コロナを通じてオンライン化がすすみ、東京・シンガポール・香港の3社間のコミュニケーションもこれまで以上にとりやすくなってきているのを感じます。それと同じように、今後いろいろな境界を超えた活動が増えていくように思います。

面出: そう。照明デザインは「照明」という領域の周辺分野と繋がって「新領域」を目指して行くことになる。LPAも垣根を超えたデザイン、interdisciplinary なデザインを志すことになるでしょうね。

同時に、芸術的な仕事と技術的な仕事が大きく二極化してくるのではないかと思ってます。LPAにおいてもその両極に対して専門的、創造的な力を注いでいきたいです。

更に、LPAというのは、照明デザインというビジネスと、非営利の社会活動を両輪とした会社です。

設立時から一貫して照明探偵団を通じてビジネスではないことを常に推進してきたし、これからも続けていきます。

私たちが期待するほどに、ライティングはまだ文化になっていないと思うのです。

環境問題が更に深刻化する現在、引き続き、社会の意識を啓蒙していく役割を果たしていくべきだと信じています。
若い社員にはこのことを強く意識して精進してもらいたいです。

窪田: 今後、光源や制御の技術はさらに進歩していくと思いますし、デザインも技術によって新しいものを生み出していかないとなりません。ですが、デザインはただ便利になったり刺激的になるだけのためにあるのではないと思います。
とくにコロナ禍で生活そのものが見直されていることもありますが、照明デザインは、隠された技術に支えられながらも、自然光に感動するような人間の本来持っているような感性に寄り添ったり、忘れかけているものを引き出したりするものでありたいなと、よりいっそう感じているところです。

田中: 現在は世界中がコロナ禍で不安な時間を過ごす事が多いと思います。私たちが計画する照明デザインは見て感じることのできる分野です。視覚的に美しい場所や環境に身を置くと心が安らぎ、豊かな気持ちになってきます。今後も今まで以上に精進しながら使う人や訪れる人の立場になって良い光環境を創造していけるように尽力していきたいと考えています。

葛西: つまり、次の人が気持ちよくトイレを使えるようにするための心遣いを常に忘れるな、ということですね!  

面出: 2020年は人類にとって想像だにしなかった一年になりましたが、30周年を迎えたLPAにとっても大きな節目となりました。私も70歳になりましたが、あと20年は仕事ができそうなので次は50周年の座談会だね!

このインタビューは雑誌arc掲載のため昨年10月に行われました。

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