探偵ノートの期間が少し空いてしまったかな? さあ、たくさんたまっているので、どんどん出しますよ。
まず初めは先月行われた「100万人のキャンドルナイト2005年夏至」の件…と思ってPCに向かったら、何と2003年8月に新建築の巻頭コラムのために寄稿した記事が目に入りました。
私をこのキャンドルナイトの渦の中に引っ張り込んだ竹村真一さんが「面出さんとの出会いは雑誌に掲載された面出さんの文章でした」というだけあって、この文章を読み直してみると、なかなか意味深長な書き方をしている。私は一度書いた文章を自分であまり読み返さないけれど、この文章は探偵ノートにも転載してみたい…と思いました。
というわけで、少し長い文章になりますが、「新建築なんか目にしたことはないよ…」という圧倒的な皆様のために以下にご紹介。2000字程度、暇な方は以下お付き合いください。
日本人は本当にスローになれるのか?
「100万人のキャンドルナイト」の成功をたたえて・・・
低迷する世界経済を背景に、身の回りを見渡してみると大変忙しい人と大変暇な人がはっきりしているように見える。どちらにしてもあまりビジネスとして成功しているようには思えないが、過酷な現代社会に忙しく働かされている人は少なくない。照明デザイナーもその一派で、私たちの事務所も後先を熟慮する余裕もないほど、高密度な時間が超特急で過ぎ去っていく日々である。であるから、スローライフという優しい言葉の響きは、いつも心のどこかに引っかかっている。私たちデザイナーの心情はそうあるべきなのだと自戒しているのだ。
そんな昨今、「100万人のキャンドルナイト」というイベントの呼びかけが、私のPCに突然飛び込んできた。スローライフを提唱する辻真一さん(明治学院大教授)などの呼びかけに応えて、全国規模の消灯イベントが6月22日に行われるという知らせだ。
ことの成り行きに注目していたが、ちょうどその日は夏至の日で、全国のライトアップ施設やオフィスビルなど約2000箇所以上で、午後8時から2時間、一斉に街の照明が消灯され、大成功に終わったようだ。環境省が「電力消費を控え、地球温暖化防止に繋げよう」とこのイベント」の音頭を取ったこともあって、国民の4.3%に相当する500万人ほどが消灯に参加したそうである。環境省は当初100万人の消灯参加を目標としていたそうなので、この結果には大変満足。関係者は大喜びして次回の更なるイベントにつなげようと盛り上がっているそうで、大変けっこうなことだ。
私は基本的に自然主義的趣向を持っているので、このイベントの主旨には大賛成だけれど、これから先にこのイベントを育てるには、更に内容の濃い議論が必要だ。その意味で期待を込めた小さな苦言を述べさせていただきたい。先ず、何故「1億人のキャンドルナイト」にしなかったのだろうか。「100万人」は遠慮しすぎだと思われる。志は大きく持つ方が良い。明らかに100万人は達成可能な数字であり、志の低い数字ではないだろうか。私たち日本人が永久に戦争を放棄し非核三原則を50年以上も堅持するのであるから、2時間ばかりの消灯と、キャンドルナイトとの出会いであれば90%以上の国民の参加を持って目標達成とすべきである。年に一度の消灯=キャンドルナイトを週に一度のイベントにさえできるはずである。
次に、ライトアップの見せしめ的消灯にも異議がある。地球温暖化防止の主旨には大賛成。しかしそのための解りやすい方法として、行政が夜間演出照明の消灯を促すのは、民意を侮辱しているとしか思えない。大体それらが消灯された姿は化粧をはがされたホステスさんのようでもあり、寒々しいばかりだ。もともとライトアップなどする必要もないものも巷には多くあるが、あれこれ考えて、夜に美しくなりたいと結論を出したのだから、わずかばかりの省エネのために化粧を落とすとは心根が座っていない。主催者側の、あの手この手の消灯作戦のシナリオは大成功したのだが、都民は東京タワーの光が消えなければ家の明かりも消せないのか。「消灯する」という行為には個人個人の強い意志が反映されるべきだ。いっそのこと、この機会に不必要な街のライトアップに対して市民投票でもさせると面白いのではないか。
現実的には夜間の住宅照明を2時間消すより、昼休みのオフィスの冷房を切り、窓を開けて風を採り入れた方が省エネ効果絶大で、何より健康的だと思われるし、サマータイム制を再度採用したほうが活気的な省エネになるのは目に見えている。また、日本全国のコンビニエンスストアが一斉に夜間天井照明を1/2間引き点灯し、照度が500~700ルクスになっても誰も困らないし、店の売上も落ちない。客は一瞬の変化にたじろぐだろうが、一週間もすれば完璧に半分の光の量に慣れ親しんでしまうだろう。おびただしい数の自動販売機の光も大半は日中に消灯できる。 21世紀の国民的課題は光のダイエットである。どのようにして20世紀に築いた光の既得権を放棄し、光の過食症から逃れる事ができるのか。スマートな光の断食道場でも開くべきなのか? 僅かな光を美味く食わせる、そんな光の精進料理が絶賛をいただけるのか。
まあ、いろいろな議論はあるけれど、日本人憧れのスローライフに光・あかりのスローも加えてもらいたい。今年成功の消灯イベントにしても、次回は消灯件数よりも消灯による闇をどう過ごすかが重要である。今回はたくさんの人が闇の下でキャンドルの光を楽しんだと聞いた。嬉しい事だ。光の文化はたくさんの個人的な体験から始まるので、体験した快いあかりや光を私たちは決して忘れない。消灯し闇に戻る事が大切なのは、闇を恐れ、邪悪を恐れ、不幸を恐れ、自分を見つめ、過去を思い、僅かな光に心奪われることができるからだ。束の間の闇の体験を通して、私たち日本人が少しでもスローに近づくことを期待したい。
新建築2003年8月号より