世界都市照明調査

都市調査 高野山

2022.10.01-10.03 池田俊一 + 渡邊元樹

早朝の奥之院の様子。空は明るいが生い茂る杉の高木により参道まわりはしっとりと薄暗くて神聖な雰囲気があった。

1200 年の歴史を持つ日本仏教の聖地である高野山( 和歌山県) は、2004 年と2016 年にはユネスコの世界遺産に登録された世界的にも有名な宗教都市のひとつである。観光地としても人気が高く、コロナ流行以前は海外の旅行者も多くいた。数多くある寺仏閣により形成された寺町特有の光環境、そして宿坊体験を通じて非日常的な照明文化を照明探偵団の視点で調査した。

高野山は、和歌山県北部に位置した周囲を1000m 級の山々に囲まれた標高800m 山上盆地に形成された町で、およそ1200 年前の平安時代のはじめに弘法大師( こうぼうだいし)・空海によって開かれた日本仏教の聖地であり、壇上伽藍( だんじょうがらん) を根本道場とする宗教都市である。元来は高野山全域が金剛峯寺( こんごうぶじ) の境内地とされていた。
都市は都市でも宗教都市にフォーカスして照明調査を行うことは私たち二人にとって始めてのことで、寺町の夜間景観はどうなっているのか、また和や仏教の光文化がどういった部分に表れているのか調査を行った。

■高野山真言宗 総本山金剛峯寺 奥之院
奥之院は入口から空海の御廟まで約2km ある広大な墓地で、参道には20 万基以上の墓があると言われていて総数は把握できていないらしい。奥之院は壇上伽藍や金剛峯寺と並んで高野山の人気スポットであるし、今回の照明調査でも特におさえておきたい場所であったので早朝と夜間に現地を訪れた。

高野山マップ
日没後の奥之院の様子


宿坊で精進料理をいただいた後、急いで奥之院に移動して入っていくと、空にはまだ青さが残る時間にもかかわらず生い茂る杉の高木により、奥之院はすでに暗くて奥のほうはすでに闇に埋もれて見えない。参道の両脇には主照明と
して高さ2m の石燈籠が立ち並び夜の奥之院の神聖で荘厳な雰囲気を演出している。ほのかにぼうっとした電球色の光を放つ石燈籠は前後には光源が見えないように拡散カバーがつき行燈のようになっている。側面の石には満月、半月、三日月がモチーフの異なる穴が空いていて光を形どった和のデザインだ。ここでの石燈籠は、連続的に配置する明かりで道なりを示しており参道の地面を明るく照らす照明ではない。ちなみに設置間隔は狭いところだと約2.5m で、光源は2500 ケルビンのLED 電球が使われていて、照度は明るいところで約1.5 ルクスだった。
石灯籠だけでは明るさに不安があったのか、参道にはところどころに明るい光を放つLED防犯灯も設置されていたのだが、これは眩しいうえに5200 ケルビンの白々しい光で奥之院の神聖な雰囲気を壊していて正直感心できない。
特に明るいところで床面照度は11 ルクスだった。

翌朝も日の出前に起床し、早朝の奥之院に出向いた。高木に遮られてはいるが太陽の光で参道から周囲に広がる墓地を見渡すことができ、しっとりと薄暗い自然の中に灯る石燈籠も相まって、静寂で荘厳な高野山の世界観を感じることができた。早朝の奥之院の美しい光景はぜひ実際に見て欲しい。     ( 池田俊一)

■奥之院萬燈会
高野山を調査目的地に選んだ理由の一つが奥之院萬燈会( おくのいんまんどうえ) への参加である。萬燈会というのは毎年8 月と10 月に奥之院の最奥の弘法大師・空海の御廟の前にかまえる燈籠堂で行われる夜の行事で、膨大な数の燈籠のともしびに託された願いが叶えられるよう供養される。御廟では一切の撮影が許されないため、画像はないが光の体験を紹介したい。
燈籠堂はその名のとおり、赤味を帯びた電球色の行燈が天井や壁、棚に無数にあり、辺り一面を覆っている。お堂内には装飾や肖像画などもあり、行燈のほかスポットライトの光でメリハリの効いた照明がされていた。

参道にあった防犯灯は白く眩しい印象
夜間の奥之院の参道に浮かび上がる石灯籠と防犯灯
荘厳な雰囲気を早朝の奥之院の墓地

お堂内で今か今かと開始を待っていると、きらびやかな袈裟を身にまとった10 数名の見るからに年齢の若い僧侶が外から現れて、堂内中央に整列し、まもなく「祈り」が始まった。僧侶たちにより力強く奏でられるお経と、無数の
濃いオレンジ色の燈明と和ろうそくの揺らぐ炎がなんとも言えない幽玄な世界を創造しているようであった。
次の照明調査に向かうため途中退席して外に出てみると、お堂のすぐ隣には記念燈籠堂という名の別の建物があり、そこにはさらに溢れんばかりの数の行燈が密集していて、その迫力に圧倒されつつ感動的なものだった。装飾照明と言えばそれまでかもしれないが、誰かの祈りが込められた膨大な数のともしびがひとつの建物を伴って輝いて見せる光景に文化的な強い意思があるように感じた。 ( 池田俊一)

壇上伽藍の根本大塔のライトアップの様子、投光照明により建物全体が明るく照らされていて特別感がある

■高野山の夜間演出照明の状況
都市部など観光地では建築物をライトアップして夜間の演出をすることは一般的なことだが、山の上の宗教都市では一体どうなっているのか気になっていた。
高野山の宿坊を兼ねた一部の寺院では、観光客向けにナイトツアーがあり、夜の奥之院などをめぐる企画が用意されている。今回私たちが宿泊した宿坊「恵光院」にもナイトツアーがあったが、マニアックにやり過ぎて他の環境客から浮いてしまうことを懸念して参加せずに独自に行動することにした。調査時はまだコロナ禍で観光客は少なかったが、以前は多くの人がナイトツアーに参加していたのだろう。
まずは有名どころの壇上伽藍、金剛峯寺、高野山大門に出向いて調査を行った。壇上伽藍には空海の構想に従って建立された根本大塔( こんぽんだいどう) がある。夜間の根本大塔は4 方向から白色の投光照明で明るく照らされていて周囲の暗い環境の中でとても象徴的に見えていた。このことから高野山の中でも特に重要な存在であることが伺える。すぐ脇には中門があり、こちらは照明器具が見えないように建物に配置され照らされている。電球色の光で朱色が際立ち、左右の像をスポットライトで照射するライトアップが施されていた。壇上伽藍にはほかにも多数のお堂があるが、ライトアップされていたのは根本大塔と中門の2 つだけであった。また調査中にはナイトツアーのグループを見かけたので、おそらく夜の観光名所になっているのだろう。一方で、根本大塔の投光照明器具が通行人の傍にあって眩しさを与えていたり、石燈籠の行燈カバーが外れたまま放置されているなど、審美性を伴う部分での粗末さも多少垣間見られたことは述べておきたい。

壇上伽藍は根本大塔と中門以外はライトアップしていない
フラットな印象の高野山 大門のライトアップ
成福院摩尼宝塔の外観
陰影が効いた壇上伽藍 中門のライトアップ
閉門後の金剛峯寺の正門

壇上伽藍を後にして、高野山の表玄関の大門に向かった。大門も壇上伽藍の中門と同じく朱色を基調とした二階建ての楼門だが、こちらは根本大道と同じく離れた位置から白色の投光照明で広く照らされているため、夜間の見え方は
中門とは異なる。
そして、目的の一つの金剛峯寺の夜間照明を調べに向かったが、なんと門が閉まっていて中に入れないという事態に・・。調べてみると金剛峯寺は午後5 時に閉まるため、そもそも対象外だったことが判明し残念無念。落胆してとぼとぼと宿坊に歩いて帰っている途中に何やら八角形の変わった見た目の寺院を発見。こちらは成寿院摩尼宝塔( じょうふくいん まにほうとう) で別名ビルマ戦没者供養塔という建物だ。うっすらと白色に照らされた軒下に道路沿いにたくさんの行燈が設置されていて、他にはあまり見られない外観に目を引かれた。外観照明は、パブリックに開かれた壇上伽藍や大門で限定的に行われていることがわかった。     (池田俊一)

金剛峯寺の日中の様子、夜間は閉門していたため調査を断念した
遮光が考慮された照明器具
夜間は非常に目立つ投光器
壇上伽藍 根本大塔のための投光器
路面に影を作るポール灯

■市街地の夜間照明
高野山市街地は大門から奥の院まで東西に伸びるおよそ2.5km 程の小田原通を中心に広がり、通り沿いには飲食店や観光センターが並んでいる。昼間は観光客や住民で賑やかな雰囲気だが、日が落ちる17 時ごろを堺に急に人気が
なくなり、19 時を回るころには街路灯と通り沿いに点在する寺院の門構えの明かりが静かに浮かび上がる。通りには5m 程の高さのポール灯が配置されていて路面を白色で照らし、大きな寺院では門構えや建造物にライトアップを施していたがをそのほかには商業的な光はない。ポール灯の光源は4500K 寺院の明かりは3000K と統一されており、一見無機質で寂しさを感じるが寺院や行燈の低い色温度の明かりをよく際立たせていると感じた。通り沿いには各所公共のトイレが設置されており、照明は全て人感センサーで点灯するように制御され、必要以上の明かりは出来る限り削除していこうという計画が見て取れた。          
通りには多角形の頭部の街路灯が25 m間隔で両側の歩行者道に設置され、床面照度は0.5 ルクスから20 ルクス程で照らされていた。灯具の形状や色温度などは通りを全体で統一されていたが、グレア制御が出来ていないことと格子の形状をしている為シルエットがそのまま路面上に影を作りだしていた。審美性、視認性から考えて灯具を磨りガラスなど拡散性のあるもの等に変えるべきだと感じた。( 渡邊元樹)

寺院の門構えの照明
小田原通

■宿坊体験
今回の調査の目的の一つに宿坊に滞在し寺院の生活やその光環境を体験することを決めていた。宿坊とは元々僧侶や参拝者のみに特化した宿泊施設だったが、観光客も受け入れている。
その歴史は長く平安時代にはすでに貴族、武士一般の参拝者が宿泊出来る形態を作っており、寺社参拝の普及の一端を担ている。施設では、僧侶の生活空間を見学でき、修行などの疑似体験のスケジュール等が組まれており、今回調査では護摩焚き、阿字観などの儀式体験も行ってきた。

護摩焚き全景
阿字観の間

滞在した恵光院は700 年程の歴史を持ち、門構えや庭園も非常に立派な寺院だ。観光目的の参拝者も多く海外からの利用者も見られた。
午後15 時チェックインが終わり約8 畳程の部屋に通される。光が多く取り込まれ整えられた庭園が部屋から望める。一通り寺院の施設や食事時間などを確認し、先ずは夕刻の阿字観体験に参加することとした。阿字観は姿勢と呼
吸を整える瞑想法で日常の煩悩を払う為多くの宿泊客が参加するようだ。約200 ㎡の広間に20 人程の参加者が集まり、部屋中央にある蓮華の上に描かれた軸に向かって胡坐を組んでいる。僧侶から一通りの説明が済み、お経を読む
声に耳を傾けながら各々が瞑想に臨んでいた。
阿字観が始まると中央の軸以外の明かりは落とされた。薄明りの中阿字の文字だけが照らされ雑念が排除されるように配慮されていた。阿字観体験を終え、夜の調査前に楽しみにしていた夕食の時間だ。料理は精進料理なのでもちろん肉類などは一切使用していないのだが、ふんだんに材料を用い、見た目にも非常に華やかなものだった。味付けや食感等を肉料理に真似て作る事で思った以上に満足感のある食事となった。

滞在した部屋( 恵光院)
精進料理

2 日目の早朝には宿坊体験の目玉としていた護摩焚きを体験してきた。護摩焚きは密教の代表的な儀式であり、御本尊の間で僧侶が様々な供物を火で焚き上げ厄や災いを払うものだ。周囲が明るくなり始めた頃、本堂での朝のお勤め
を終え、場所を移動し護摩焚きが始まった。火を起こす前は僧侶背後の入口から朝の白い光で照らされていた本尊の間に炎があがり、顔を赤く照らされた僧侶が一心不乱にお経を読む姿は非常に迫力があり力強いもので、信仰を超えた多種多様な儀式で炎が用いられることに深く納得させられる経験となった。 ( 渡邊元樹)

恵光院門構え

■調査を終えて
神聖な高野山の照明調査ということで高い好奇心で現地に向かったが、夜な夜な奥之院や町を徘徊して撮影と照度記録する様子は僧侶たちから怪しい奴らだと思われたに違いないし、ここでお詫びさせていただきたい。高野山で出会った仏教の明かりは単なる照明ではなく文化と密接した意味があり、寺院で体験した勤行や祈祷の際の炎にも、長い時を継承されてきた照明文化だと強く認識する機会となった。( 池田俊一)

恵光院本堂

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